江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その3】

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江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その3】

天下の徳川家にあって将軍家に次ぐ家格を有する御三家。その筆頭である尾張徳川家は、名家でありながら自家からの将軍輩出は叶わなかった。今回は【その2】に引き続き、尾張徳川家の歴史をご紹介する。

これまでの記事

江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その1】

江戸時代「将軍」を輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【その2】

宗春謹慎・隠居と尾張藩不遇の時代

宗春の自由経済政策は庶民の支持を集め、名古屋の城下町は江戸以上の賑わいを見せた。しかし一方で、風紀の乱れや財政の悪化を招き、宗春は一時的に政策転換を図るが、根本的な路線変更は行われなかったため、次第に藩士たちと間に溝が生まれ始める。

尾張藩の借金は嵩み、宗春は将軍家による後押しを受けた家老たちによって、謹慎・隠居に追い込まれてしまう。

その後、尾張藩は財政を立て直すために幕府の方針である質素倹約に舵を取り、9代藩主宗睦の頃には名古屋の城下町には宗春時代の活気が戻りつつあった。

しかし、宗睦は後継に恵まれず、義直から続く男系の血統は断絶してしまう。

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