亀梨和也「ダンスより野球優先」の特別待遇が認められたワケ

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亀梨和也「ダンスより野球優先」の特別待遇が認められたワケ

 新型コロナウイルスによる撮影休止によって、Sexy Zone・中島健人とKing & Prince・平野紫耀の初ダブル主演ドラマ「未満警察 ミッドナイトランナー」(日本テレビ系)がスタート時期を延期。代わりに放送されたKAT-TUN・亀梨和也&山下智久のドラマ「野ブタ。をプロデュース 特別編」が全10話再放送され、人気になった。

 コロナショックによって改めて注目を集めた亀梨だが、幼いころから芸能界にあこがれていたわけではない。元は普通の野球少年だった。地元の東京・江戸川区に住んでいたころは、小学1年生から野球に打ち込み、小6で「少年軟式野球世界大会」に出場。中学校へ進学後は硬式野球の名門「江戸川東リ卜ルシニア」に入団して、1年生でレギュラーになった。

 ジャニーズ事務所には98年に入所したが、毎週土・日のダンスレッスンと野球の練習が重なっていたため、野球を優先しつづけた。そんな亀梨に奇想天外な新提案をしたのが、ジャニー喜多川氏だ。

「そもそもジャニーズ事務所のルーツは、少年野球チーム。ジャニーさんは野球への理解があるので、亀梨に『YOU、本気でジャニーズ所属で甲子園に出てよ』や『YOUのためにジャニーズで野球チームを作ってあげる』と言って口説きました。のちにそれは、『J2000』という野球チームで実現。99年に起こった台湾大地震の救援活動の一環で、初代監督兼キャプテンは今井翼。2代目キャプテンを亀梨が務めました」(アイドル誌ライター)

 無名だったジャニーズJr.の亀梨は、背番号1番でピッチャーに大抜擢。いつしか、ダンスレッスンではなく、野球大会に向けた練習のほうで声がかかるようになる。大先輩の近藤真彦がピッチャーをするため、キャッチャーを任されることもあった。

「野球大会は基本、ピッチャーがストレートを投げて、バッターが打って、満場の女性ファンが黄色い歓声をあげるのが定番の流れでした。でも、亀梨は違った。相手がバッターボックスに立った瞬間に実力を察知して、打たれると思うと変化球を投げて、容赦なく三振を奪ったのです」(前出・アイドル誌ライター)

 ベンチに戻ってきて首を傾げたのは、大先輩のV6の坂本昌行だ。「カーブ投げたな…」と、亀梨の空気の読めなさ加減に、怒りを押し殺した様子だったという。

 ちなみに、坂本も野球経験者。高校生でジャニーズ入りしたが、20歳でいったん退所。旅行代理店に就職したが、電車で偶然KinKi Kidsと会ったことで、ジャニーズ愛が再燃して、TOKIO・国分太一に仲を取り持ってもらいジャニーズに“復職”した。その復帰舞台が、野球大会。マスクで顔が隠れるキャッチャーで、再起を図った。

 亀梨にとっては出発、坂本にとっては再出発の場となったジャニーズ野球大会。マウンドは、ジャニーズアイドルのもうひとつのスタートラインだったのだ。

(北村ともこ)

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