徳川家の前身である「松平家」には家康を含めに9人の当主がいたとされている。代々三河の地を治めてきた松平家。今回は前回から引き続き、家康以前の松平家の歴史をご紹介する。
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1511年、6代当主信忠の嫡男として生まれた「清康」。1523年に隠居後も影響力を維持していた祖父・道閲(長親)によって家督の継承を受ける。
以降は積極的に三河の掌握に努め、岡崎松平家の西郷信貞(松平昌安)を配下に置く。信貞の居城であった旧岡崎城は破棄し、龍頭山に新岡崎城に移転。以降、岡崎を松平氏の拠点とした。
西三河の実質的な支配権を獲得した清康は、東三河への侵攻に着手した。今橋城、吉田城を攻め降伏させると、東三河国人衆の多くが清康に従属を申し出た。三河東端にあった宇利城を攻め落とすと、東三河の勢力掌握に成功する。