松田聖子「40周年」と「沙也加」の誤算(終)“似た者同士”で「和解」も近い?

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松田聖子「40周年」と「沙也加」の誤算(終)“似た者同士”で「和解」も近い?

 自身の40周年のアニバーサリーイヤーがコロナ禍によって逆境に変わっても、永遠のアイドル・松田聖子には、大きなダメージではなく、来たる大爆発までのタメの期間でしかなさそうだ。だが、そんな聖子にも唯一、弱点がある。娘の神田沙也加のことである。2人の母娘関係は、どこでどうこじれたのか─。

 まだ多感な少女であった沙也加が、米国を拠点として活動をはじめた聖子に振り回されたことが、現在の母娘関係に大きな影を落としていることは、間違いないだろう。

「米国で成功を収めることはできず、日本に持ち帰った戦利品といえば、米国男性との不貞スキャンダルでしたからね」(芸能リポーター)

 特に大きく報じられたのは、米国の無名俳優、ジェフ・ニコルスとの3年にも渡る関係だった。

「94年には、ジェフが『心からの愛』という暴露本を発売し、聖子からのラブレターやラブラブ写真までを公開。その後、ディープキス写真まで漏洩し、大騒動になりました」(前出・芸能リポーター)

 聖子は、ジェフのことを「英会話の教師」「アルバムのデュエット相手」「キスは挨拶」と関係を認めることはなかったが、そんな母親に自分の恋についてとやかく言われたくない─。沙也加がそう思うのは当然だったのだ。

 17年、沙也加は、広末涼子の元カレとしても知られる、モデルで俳優の村田充との結婚を発表した。

「沙也加と村田が、神田正輝に結婚の報告をした際の写真が公開され、父親とは温かな交流があることがわかりましたが、この幸せなニュースに聖子の存在はなく、祝福の言葉も出なかった。ハワイでの挙式には神田も出席しましたが、聖子の姿はなく、その後、都内のレストランで開かれた披露パーティーにも出席していません。聖子は、最後まで村田との結婚に反対していたともいわれています」(前出・芸能リポーター)

 結婚が明らかになった直後、沙也加は聖子が所属する事務所から移籍している。

「2人が、もはや修復の難しい関係にあることは明白でした。19年、沙也加が村田と離婚した際にも、当然のことながら聖子からのアクションは何もありませんでした」(芸能ライター)

 だが、今後、2人が交わることがないのかというと、やはりそれは違うだろう。

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