抜群のプロポーションを誇った遠野舞子(47)は、90年代グラドルブームの先鋒となった。鮮烈な魅力は、CMの大きな仕事を射止めることとなる。
──92年に歌手デビューして、その翌年にはグラドルの最高峰だった「フジテレビビジュアルクイーン」にも選ばれていますね。
遠野 内田有紀ちゃんも一緒でした。選ばれると中米にビデオの撮影に行くんですけど、帰国したら有紀ちゃんは大手事務所に移籍していて。ザ・芸能界という感じがしました(笑)。
──太平洋上の略奪事件ですね。そしてCMデビューも早く、92年には任天堂の「ゲームボーイ」があり、93年には「浅田飴」にも抜擢されています。
遠野 当時の浅田飴の社長さんにご指名されたんですよ。私が新聞記事になっているのを見て「この子がいい」と。
──創業から長い歴史を持つ会社のトップに選ばれていたとは!
遠野 当時、まだ30代でしたから若い社長だったんです。私には4年契約と言ってくれました。
──破格の扱いですね。
遠野 ただ、その分、社長はいつも私の現場についてきました(笑)。海外にロケへ行く時の飛行機は必ずファーストクラスなんですが、隣の席にはいつも社長がしっかりと座って。そのうち、広告代理店の方が気を遣って間に入るようになりましたが。
──よっぽど熱心だったのでしょうか。
遠野 でも、出してもらえてうれしかったですよ。ある日、山手線のホームに立っていたら、向こうに私の大きな看板が見えたんです。つくづく、すごいCMができたんだなと思いました。
──芸能人の醍醐味を感じる瞬間ですね。4年の契約期間に、印象に残る撮影はありますか。
遠野 どの商品かは忘れましたが、ソファーに何度も座ったり立ったりする撮影があったんです。そしたら私、なんとギックリ腰になってしまって。
──まだ20歳前後の若さなのに。