日本三代怨霊に数えられる「崇徳天皇(すとく)」は、歴代の天皇の中でも不運な生涯を送り、恨みを抱えこの世を去ったという。
今回は【前編】に続き、崇徳天皇の生涯をご紹介する。
前回の記事
軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【前編】 傀儡としての崇徳上皇政治の実権を鳥羽法皇に奪われた崇徳上皇だったが、表向きの関係性にわかりやすい対立がなかったともいわれている。
崇徳上皇には、女房として身近に仕えた兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね)との間に第一皇子である重仁親王があり、天皇即位の権利を有していた。このことが崇徳上皇にとって希望となっていたのかもしれない。
1155年。近衛天皇が17歳で崩御する。