その経歴は実に華々しい。祖父に元建設相の野田卯一氏を持ち、大学卒業後に帝国ホテルに入社。86年、岐阜に移って選挙活動を始め、翌年に岐阜県議に史上最年少の26歳で当選する。
93年に衆院選で初当選すると、98年に郵政相として、これまた史上最年少の37歳で初入閣。99年に女性で初めて「大物の登竜門」と言われる議事進行役に大抜擢された。
この頃には「オヤジキラー」として一目置かれ、大御所議員にかわいがられるようになっていた。
「98年の党総裁選で野田氏は対抗馬の梶山静六氏(故人)を応援していたにもかかわらず、小渕恵三氏(故人)は内閣発足時に郵政相として引っ張った。郵政族の会合で野田氏がひたむきに取り組む姿勢を買っていて、周囲からの反対の声を押しきっての起用でした」(政治部デスク)
野中広務元官房長官(故人)や古賀誠元幹事長(80)といった党内のキーマンからも寵愛を受けていたが、どこにそんな魅力があるのか。