元巨人・槙原氏、現役末期の抑え転向は屈辱だった? 当時の苦悩を明かし反響、「首脳陣に押し付けられた」との見方も

| リアルライブ
槙原寛己氏

 野球解説者の槙原寛己氏が10日、自身の公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿。動画内での発言がネット上の巨人ファンの間で話題となっている。

 今回の動画で槙原氏は、視聴者から寄せられた複数の質問に回答する形でトークを展開。その中で話題となったのは、「現役生活最後の2年間は抑えの方に回っていたが、正直先発にこだわりはあったのか?」という質問を受けて語った当時の苦悩だった。

 巨人(1982-2001)一筋で現役生活を送り「463登板・159勝128敗56セーブ・防御率3.19」といった通算成績を残した槙原氏は、1998年シーズン途中に先発から抑えに配置転換されている。槙原氏によると、長嶋茂雄監督(当時)が槙原氏、斎藤雅樹氏、桑田真澄氏、ガルベスの4先発から槙原氏を抑えに回すことを決め、投手コーチを介する形で配置転換を伝えてきたという。

 ただ、槙原氏は「(それまで)150いくつ勝ってたので、先発を続けていれば200勝も見えるわけですよ。だから考えましたよ」と、名球会入会条件でもある通算200勝達成が絶望的となるため最初は抑え転向を渋ったとのこと。また、「若い時は結構セーブとか挙げた(1997年までに通算6セーブ)けど、その時は(球に)力があったから(打者に)ガンガン行けた。けど、(現役)後半になってスピードもなくなってきた」と、抑えとしての適性にも欠けているのではとの思いもあったという。

 しかし、その一方で槙原氏は1993年オフにFA宣言した際に直接残留を説得してくれた長嶋監督に恩義を感じていたといい、理由は触れていないが「俺がもし断ったらチームがおかしくなる」という懸念も抱いていたという。そのため、悩んだ末に「俺が我慢すればいいか」と渋々配置転換を受け入れたと語っていた。

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