フリーアナウンサー・生島ヒロシインタビュー「ただしゃべっているだけじゃ、もうダメだ」

| 日刊大衆
生島ヒロシ(撮影・弦巻勝)

 僕は20歳のときに大学を休学して、一人でアメリカの州立大学へ留学しました。悪戦苦闘の日々でしたが、ここでの4年間が今の僕を作ってくれたような気がしています。

 一番ビックリしたのは、大学に赤ちゃんを連れてきている人が珍しくなかったこと。話を聞いてみると、「ここで資格を取ると給料が上がるのよ」とか「転職するのに必要なの」とか言うわけです。

 日本と違ってアメリカは終身雇用制じゃないので、自分で道を作って行かなきゃいけない。常に努力してスキルアップし、個人で道を切り開いていくのが当たり前というアメリカ人の姿は、日本で生まれ育った僕にとって非常に衝撃的でした。

 刺激を受けた僕は、時給2ドルの皿洗いのアルバイトを辞めて、『生島ヒロシ・ガーデニングカンパニー』という会社を起こしました。現地に開局した日本語放送のテレビ局で、番組の原稿を書く仕事も始めました。“人に使われているんじゃダメ。効率よく収入を得るためには自分でやらなきゃ”と考えたんです。振り返ってみると、アメリカでの4年間で、今につながる“生島ヒロシ”がもう始まっていますね。

 卒業して帰国し、TBSの入社試験を受けるわけですが、そのときに僕は、「“TBSの生島ヒロシ”では終わりたくありません」って言ったんですよ。まだ入ってもないのに、我ながらよく言いますよね(笑)。

 でもアメリカでの経験から、僕はいずれ、生島ヒロシ個人として生きていくと心に決めていたんです。そして予告通り、1989年に退社して、自分の会社を立ち上げました。

 もちろん、会社に所属していれば安心です。独立すれば自由である代わりに、自由を謳歌するための責任が伴います。でも、自分の好きなことができて、生活ができて、社会的にも認められる。この3つができれば、何より最高ですよね。

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