生涯で57回もの合戦に参加!徳川四天王の一人であり徳川家最強の武将・本多忠勝とは?

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生涯で57回もの合戦に参加!徳川四天王の一人であり徳川家最強の武将・本多忠勝とは?

みなさんは、「本多忠勝(ほんだ ただかつ)」という人物を知っていますか?戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将です。徳川四天王の一人で、徳川家康に大きな貢献をしました。

そこで、今回の記事では、そんな本多忠勝について、彼の人生や人柄などについて詳しくご紹介したいと思います。

本多忠勝の人生は?

本多忠勝は、天文17年(1548年)に、三河国額田郡蔵前(現在の愛知県岡崎市西蔵前)に生まれました。本多家は、徳川本家の最古参の家柄で、彼の父は本多忠高です。

父は忠勝が幼いころに戦死してしまったため、叔父の本多忠真(ほんだ ただざね)のもとで育てられます。初陣は永禄3年(1560年)、彼が13歳のときに参加した「桶狭間の戦い」でした。

桶狭間合戦 (歌川豊宣 画)

その後、生涯にわたり全57の戦に参加。三河一向一揆、姉川の戦い、三方ケ原の戦いなど、家康の人生においても重要な合戦で活躍し、大きな功績をあげました。多くの合戦に参加した本多忠勝ですが、なんと傷ひとつ負わなかったと伝えられています。

そんな彼は、「死にともな、嗚呼死にともな、死にともな、深きご恩の君を思えば」という句を残して、63歳でこの世を去りました。

本多忠勝はどんな人物だった?

「徳川四天王」「徳川三傑」「徳川十六神将」の一人として、徳川家において最強の武将だったと評されているのが本多忠勝です。

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