江戸時代後期から幕末の動乱期にかけては、色々な集団や人物が登場、活躍し、世の中を動かしていきましたが、なかでも薩摩藩はその存在無くしてこの時代を語れないのではないでしょうか。
異国へと目を向けた島津斉彬や彼に憧れた西郷隆盛・大久保利通など、有名人を挙げればきりがありません。しかし、そんな薩摩藩からは、鉄砲玉のような男も出ました。
その名も、益満休之助(ますみつ きゅうのすけ)。
西郷や大久保と比べるとあまり知られていない人物ですが、今回の記事では、そんな彼について詳しくご紹介したいと思います。
益満休之助(ますみつ きゅうのすけ)とは?益満休之助は、江戸時代・幕末に生きた薩摩藩士です。天保12年(1841年) に益満行充の次男として生まれました。子どものころから活発で暴れん坊気質でしたが、頭の回転も速かったようです。
薩摩藩の尊王攘夷派として、1860年には、清河八郎や山岡鉄舟を中心に結成された「虎尾(こび)の会」と呼ばれる尊王攘夷党に加わります。
益満は、1860年に伊牟田尚平が首謀したアメリカ公使館の通弁官・ヒュースケン(オランダ人)の暗殺にも加わっています。
さらに、1867年の末には、西郷隆盛からの密命で、伊牟田尚平と一緒に江戸へ行き、薩摩藩江戸藩邸を本拠地として約500人の浪人を集めて江戸市内を混乱に陥れました。
放火や強盗などを行い、江戸幕府に対して挑発行為を行いました。これは、人々の不満をあおることで新政府実現への足掛かりとすることが目的でした。