悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【後編】

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悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【後編】

忠勝の死

前編では、庄内藩初代藩主・酒井忠勝と、その弟の忠重が、藩にもたらした災厄について説明しました。酒井家と庄内藩の受難はさらに続きます……。

前編の記事

悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【前編】

高力喜兵衛とその一族が酒井家から排除され、その翌年の1647(正保4)年には忠勝が亡くなります。

酒井忠勝(Wikipediaより)

ここで、家督を誰が継ぐかが問題となりました。そこで松平信綱の裁定により、忠勝の息子である忠当に継承されることになりました。

ちなみにですが、松平信綱は「知恵伊豆」と呼ばれ、徳川15代の礎を築いたともされる名政治家です。

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