母衣(ほろ)・母衣武者(ほろむしゃ)とは
戦国時代、「母衣武者(ほろむしゃ)」と呼ばれた武将がいました。
永青文庫蔵「一の谷合戦図屏風」より、平敦盛を呼び止める熊谷直実。その背中に大きな赤い母衣を負う(Wikipediaより)
前田利家などもこの「母衣武者」にあたり、彼らはさまざまな意味で優遇されたエリート武将でした。
まず母衣(ほろ)とは何なのかというと、甲冑の補助的な武具のことです。鎧の背中に大きな布を挟み、風で膨らませて戦場の矢などから身を守る形で使われていました。
中世の戦の様子を描いた作品に、風船やパラシュートを背負ったような武士が描かれていることがありますが、これが「母衣武者」です。
武士の背中に風船?選ばれし者の証「母衣(ほろ)」の意味や役割ってなに?先に戦国時代と書きましたが、実際には母衣はもっと昔から存在していました。
もともと、母衣は全身を被うように着用する防寒具の一種でした。しかし平安末期になると、騎乗の際に背中に装着して、風を使って布を大きく膨らませるという使い方がはやり始めました。