日本で江戸時代に長きにわたって鎖国政策が採られていたことは多くの方がご存じだと思います。そのような鎖国状態において、中国と並んで貿易が許されていたのがオランダです。
そこで、今回の記事では、日本とオランダの400年以上にわたる長い歴史を振り返ってみたいと思います。
日本とオランダの交流が始まったのは、今からでも420年ほど前の1600年(慶長5年)のことでした。オランダのデ・リーフデ(博愛)号が豊後国臼杵(現在の大分県臼杵市)の海岸に漂着。
「八重洲」の地名の由来はオランダ人のあのヤン・ヨーステン!…で、ヤン・ヨーステンって誰?このリーフデ号は、オランダのロッテルダムを1598年にそのほか4隻の船とともに出航。この5隻は、モルッカ諸島と日本を目指していました。そのうち、4隻は外国船に襲われるなど、悲劇に見舞われ、のこった1隻(リーフデ号)が日本にたどり着いたのです。
家康もオランダ人を歓迎徳川家康は、漂着したオランダ船に興味を示します。乗組員も歓迎し、彼らから航海術や西洋の情報を学びました。1609年には長崎にオランダ商館が立てられ、これを機に本格的な通商関係が始まります。