桶狭間は「おけはざま山」?
【前編】では、1560年の桶狭間の戦いが起きた経緯と、今川義元の目的・兵力がはっきりせず謎のままであるという点を説明しました。
次に、桶狭間の戦いにおける謎として、そもそも桶狭間とはどこなのか? というのがあります。
従来の説は、織田信長は善照寺砦から太子ケ根を回って、桶狭間で今川義元と激突したというものでした。一方、最近は太子ケ根ではなく中島砦を迂回して手越川に沿うなどして行ったのではないか……とも言われています。
ところが「そもそも」の問題として、桶狭間とは一体どこなのかがはっきりしていません。
江戸時代初期に小瀬甫庵によって書かれた『信長記』では、そこは窪地である田楽狭間という場所だったと記されています。