武力だけではない!土佐七雄の「鬼」長宗我部元親はいかにして敵を追放したか

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武力だけではない!土佐七雄の「鬼」長宗我部元親はいかにして敵を追放したか

七雄の鬼

織田信長の同時代人で、四国で活躍していたのが御存知・長宗我部元親です。彼はどのようにして土佐を統一したのでしょうか?

長宗我部元親像

戦国時代、土佐では七雄と呼ばれる七つの豪族が覇権争いをしていました。長宗我部氏はその中のひとつで、もともと元親は姫若子などと呼ばれるほど大人しい性格の子供でした。

しかし、初陣となる長浜の戦いで勇猛果敢に戦に臨み、その後は鬼若子と呼ばれるようになります。

彼は病死した父の家督を継ぎ、土佐統一に乗り出しました。

まず七雄の中でも最大の勢力である本山氏の討伐を目標として数年かけて複数の城を落とし、本山氏を追い詰めると1568年頃に降伏させています。

さらにその翌年には、八流の戦いで安芸国虎に対して勝利をおさめ、土佐中部・東部を平定しました。

元親の最後の敵となったのは、当時の土佐西部を支配していた一条兼定です。彼は公家出身だったのですが戦国大名へとのし上がっていったという珍しい経歴の人物。しかももともとは国司として長宗我部氏を配下に置く立場でした。

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