聖火リレーのような儀式も!?平安時代の結婚は何かと大変だった

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聖火リレーのような儀式も!?平安時代の結婚は何かと大変だった

平安時代の恋愛というと、『源氏物語』で描かれる光源氏とさまざまな女性たちのやりとりを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

今回は、恋愛のなかでも結婚に焦点を当てて、平安時代を見ていきたいと思います。現代の結婚の形とは異なる平安時代のスタイルに迫ってみましょう。

平安時代は時期により婚姻の形態が異なる

平安時代と一言で言っても、婚姻の形態は時期によって変遷していきました。平安時代初期は妻問婚(つまどいこん)という通い婚のひとつがとられていました。こちらは別居を基本とし、漢字の通り夫が妻のもとを訪れるというもの。中期になると婿入り婚となります。夫が妻の家へ入り、同居します。

ちなみに、この制度により、天皇の外祖父となる藤原氏の政策がより効果を上げたと言われています。

平安後期以降は嫁入り婚となり、妻が夫の家へ入り、同居します。

平安時代の結婚までの流れ

まずは、男性が女性に対して懸想文と呼ばれる恋の手紙を送ります。とはいえ、当時は女性は顔を見せなかったため、世間の噂や垣間見(いわゆる覗き見)をして好意を寄せます。

女性側からお断りの返事が来てもあきらめずに再度送ります。何度か文のやりとりをしたあと、女性から承諾の手紙をもらったら、吉日を選び、夜に女性のもとを訪れます。

今から考えると驚きですが、この時点で初めてお互いの顔を知ることになります。

三日間続けて女性のもとに通い、三日目に「露顕(ところあらわし)の儀(現在の披露宴にあたる)」や「三日夜の餅(みかよのもち)の儀(新婦の家族が用意したお餅を食べる)」などを行って初めて婚姻が成立します。

ちなみに、この三日間は婚姻の成立においてとても重要であったため、女性の家族は男性の靴を抱いて寝る(=男性が他に行かないように願いを込めて)という風習がありました。

また、三日間の初日には、男性側が持ってきた灯を女性の家の火と合わせる「火合わせ」という儀式がありました。両家の結びつきを示すものであり、三日間灯続けられました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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