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朝ドラらんまんでは、枝盛がモデルとなった早川逸馬は捕縛後にあまり登場しません。
では実際の植木枝盛は、どのような活動をしていたのでしょうか。このときの枝盛は、変わらず板垣退助ら自由党と共に行動を続けていました。
明治15(1882)年5月、高知県の酒造業者らが枝盛に造酒税の悩みを相談します。
これを受けた枝盛は、大阪で全国規模の酒屋会議を招集。減税と営業の自由を求めるように檄文を書き上げました。
それどころか酒税軽減の嘆願書を政府に提出。危うく逮捕されるところまで追い詰められます。
明治17(1884)年には、東海や北陸地方を遊説。代言人試験に遅刻して諦めるなどの事態にも遭遇しています。
しかし時代を変えるため、枝盛は奮起することをやめませんでした。