江戸時代、「太夫」「花魁」などと呼ばれた吉原のトップ遊女たちは、幼い頃に貧しい家から売られて「禿(かむろ)」という見習いとなり、振袖新造を経てステップアップするというのが一般的でした。
その一方で、岡場所などの私娼窟で働いていて逮捕され、刑罰として吉原に身柄を引き渡されて3年の年季奉公を科せられる女性も存在しました。
彼女たちは「奴女郎(やっこじょろう)」と呼ばれ、吉原の遊女の中で軽蔑される最下級の扱いを受けるのが通例でした。
ところがそんな奴女郎から吉原の太夫、更には江戸のファッションリーダーにまで登り詰めた伝説のトップ遊女がいました。