四国地方や中国地方に伝わっている集団亡霊・七人ミサキ。
七人ミサキは、人を取り殺したら1人が成仏し、取り殺された人が七人ミサキに成り変わる一生消えない亡霊として知られています。
そんな七人ミサキですが、戦国武将の吉良親実(きら-ちかざね)が起源となっていたのはご存知だったでしょうか。中には、どうして親実が七人ミサキとなったのか知りたい方もいるかもしれません。
そこで今回は、親実が七人ミサキとなった経緯と生涯を合わせてご紹介します。
元親の甥だった親実親実は永禄6年(1563)に吉良親貞の下で生まれます。また、父である親貞は長宗我部元親の弟なので、親実と元親は伯父と甥の関係にあたります。
親貞が武勇に優れていたこともあり、親実も幼少の頃より武勇に優れていました。それもあり、元親の娘を正室にするほど重宝されていました。
年に父が亡くなると、家督を引き継ぎ一門衆として活躍します。