天才 vs 秀才!「禅宗」はなぜ南北に分断されたのか?六祖慧能と弟子たちの禅統をたどる

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天才 vs 秀才!「禅宗」はなぜ南北に分断されたのか?六祖慧能と弟子たちの禅統をたどる

6世紀に達磨大師(だるまたいし)が開眼し、以来21世紀の現代まで伝わる禅宗(ぜんしゅう)。

日本へは鎌倉時代(13世紀)に伝来、臨済宗(りんざいしゅう)と曹洞宗(そうとうしゅう)が知られています。

ところでこの禅宗が、南北二宗(南宗と北宗)に分かれているのをご存知でしょうか。

今回は禅宗が南北に分断された、とある天才と秀才のエピソードを紹介したいと思います。

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若き天才・慧能の発心

慧能の即身仏(画像:Wikipedia)

禅宗が南北に分断されたのは、第六祖・慧能(えのう)大師の時代。

慧能の俗姓は盧(ろ)氏、7世紀(西暦637年)に嶺南の新州(現代の広東省)で誕生しました。

※本名不詳のため、以後「慧能」で統一します。

俗に南蛮(南方の異民族・野蛮人)と蔑み呼ばれる地方で育った慧能は、幼くして父を亡くしたため、樵(木こり)として老母を養っていました。

家が貧しいため、もちろん学問などする余裕はありません。

そんな慧能はある時に発心。貯めたお金で老母の世話を人に頼み、第五祖・弘忍大師の元へ旅立ちます。

【達磨大師からの禅統】

開祖・達磨大師 第二祖・慧可(えか)大師 第三祖・僧璨(そうさん)大師 第四祖・道信(どうしん)大師 第五祖・弘忍(ぐにん)大師 第六祖・慧能大師

30日余りにわたる険しい旅路を経て、ようやく念願の弘忍大師に拝謁しました。

「南蛮の者がどうして仏になれようか」

はじめは冷たく突き放す弘忍に対して、慧能は毅然と反論します。

「人に南北の違いがあっても、仏の教えに南北の違いはあるのでしょうか」

この態度を見込んだ弘忍大師は、慧能を米搗き男として寺に置くこととしました。

慧能は素直に従い、せっせと米を搗きながら8ヶ月が過ぎたのです。

秀才の詠み上げた禅詩

弘忍大師(画像:Wikipedia)

ある時、弘忍大師は後継者を選ぶ時が来たと感じました。

「お前たち、それぞれ自分の悟ったことを詩に詠むがいい。真に悟りを開けた者に、我が衣鉢(いはつ)を受け継ごう」

衣鉢とは袈裟(僧衣)と鉢(托鉢用)で、禅統を継承した禅祖の証です。

弘忍大師のお題に対して、弟子の中で最も優れていた神秀(じんしゅう)が筆をとりました。

【神秀の詩】

身はこれ菩提樹(ぼだいじゅ)
心は明鏡(めいきょう)の台(うてな)の如し
時時(じじ)に勤めて払拭(ほっしょく)し
塵埃(じんあい)をして有らしむことなかれ

【詩の意味】

私の身体は菩提樹のように健やかで、心は台に据えられた鏡のように輝いている。

チリひとつないように、いつも一生懸命に磨き上げなければならない。

……とのことです。これを見た他の弟子たちは口を揃えて絶賛します。

しかし弘忍大師は黙って詩を眺めるばかり。何も口にはしませんでした。

「その詩は悟っていない」

菩提樹の下で悟りを開かれたお釈迦様(イメージ)

それでも神秀の詩は素晴らしい出来ばえで、弟子たちはみな口々に諳(そら)んじます。

「身はこれ菩提樹、心は明鏡の台の如し……」

これを聞いた慧能は、思うところを口にしました。

「その詩を詠んだ方は、まだ悟りの境地に至っていませんね」

何だと、無学な米搗き男、しかも南蛮人の分際で……尊敬する神秀を批判され、怒り心頭だったのではないでしょうか。

「文字の読み書きも出来ないくせに、お前に禅の何が解る!」

「お言葉ですが、文字は禅を理解する手がかりであって、禅そのものではありません。達磨大師もおっしゃっていたでしょう。『言語道断・不立文字』と」

言語道断(ごんごどうだん)とは「禅は言葉に表し切れない」の意、不立文字(ふりゅうもんじ)とは「文字に依存すべからず」の意です。

やり返されて、怒りはますます募ります。

「そこまで言うなら、お前が詩を詠んでみろ!」

「いいでしょう。口述するので、どなたか筆記していただけますか?」

そして慧能は口を開きました。果たしてどんな詩を詠むのでしょうか。

天才の禅詩に震撼

文字は知らずとも、真理を諳(そら)んじて見せる慧能(イメージ)

菩提(ぼだい)本(もと)より樹(じゅ)無し
明鏡も亦た(また)台に非(あら)ず
本来無一物(むいちもつ)
何処(いづく)にか塵埃有らん

【詩の意味】

菩提(悟りの境地)は樹木に表せるものではなく、鏡も台も存在しない。

この世の本質は「無」であるのだから、そもそもチリなど存在するはずがない。

……菩提樹だの明鏡だの小賢しい。すべては無であり、無より来りて無へと帰するのだ……あまりにも大胆な世界観に、人々は震撼したことでしょう。

よもや、こんな無学の南蛮人が衣鉢を受け継いでしまうのか……しかし弘忍大師は冷淡に断じました。

「ダメだ。全く話にならん」

弘忍大師が去って行くと、神秀らは胸を撫で下ろしたことでしょう。

しかし弘忍大師は夜中になると、慧能を訪ねて言いました。

「お前が衣鉢を受け継ぐべきだ」

昼間の冷淡な態度は、周囲を欺くためのもの。もしあの場で慧能を指名すれば、きっとタダでは済まなかったはずです。

慧能に衣鉢を託し、秘法を伝授した弘忍大師は、夜の内に旅立つように促しました。

「しばらく身を隠し、時機が来たら世に教えを広めるがよい」

「はい。今までありがとうございました」

かくして慧能は師の元を去ったのです。

南北に分かれた禅統・頓悟と漸悟

悟りを求め、修行に打ち込む僧侶(イメージ)

やがて慧能は南方から禅を広め、今日における禅宗発展の祖となります。

いっぽう衣鉢を受け継げなかった神秀も、唐の首都であった長安へ上り、独自の禅統を確立しました。

このため慧能の禅統を南宗、神秀の禅統を北宗と呼ぶようになり、互いに対立します。

南宗と北宗はそれぞれ思想が異なり、悟りに至るプロセスが最大の違いと言えるでしょう。

南宗は頓悟(とんご)、北宗は漸悟(ぜんご)を旨としていました。

頓悟とは

「頓(とみ)に悟る」すなわち「段階を経ず、いきなり悟る」ことを意味します。

もちろん悟りの境地に至るための様々なアプローチ(修行)が試みられるのが一般的ですが、それが必須ではありません。

中には修行を要せずに悟ってしまう天才も存在し、慧能はまさしくその一人でした。

修行が必須ではない反面、どれほど修行を重ねても、一向に(何なら一生涯)悟りの境地に至れないリスクもあります。

漸悟とは

「漸(ようや)く悟る」の文字通り、修行を段階を経て、悟りの境地へと近づいていく思想です。

地道に修行を重ねれば、その先には悟りの境地があり、いつか必ずたどり着ける……人によって早い遅いはあっても、努力に裏切られることは決してありません。

※たとい悟りに至らず寿命が尽きてしまっても、修行しないよりはした方がよりよい(悟りに近い)と言えます。

どちらかと言えば、才能に自信がない人向けの思想と言えるでしょうか。

どっちが優れているということはない

悟りへの道のりは人それぞれ(イメージ)

これらの特質から、南宗(頓悟)は天才肌、北宗(漸悟)は秀才志向の禅と解釈されます。

ただし誤解のないよう補足すると、人には誰でも才能(悟りに至る可能性)があります。個性と言った方が、より適切な表現でしょうか。

ある日ある時、突然のキッカケで才能なり個性が開花し、悟りの境地に至るのでした。

人間同士に一切の差はなく、ただ自分を通じて仏と向き合うことを旨とします。

修行を始めた先後や年齢の長幼などは関係ありません。

本来無一物である以上、人間同士で比べる行為自体がナンセンスです。

ひいては南宗と北宗のどっちが優れているか、などと言うのも愚問。それぞれどっちが「自分に合っているか」をこそ問うべきでしょう。

あらゆる思想や宗教に言えることですが、平和で幸せに生きるというゴールは皆同じはず。

何が平和で何が幸せなのか、そのためにどう生きるのか。あらゆる悩みや迷いから解放された状態を、悟りと呼ぶのかも知れませんね。

エピローグ

青原行思(画像:Wikipedia)

その後、慧能は多くの弟子たちを導く中で、特に優れた5人の弟子を輩出しました。

南岳懐譲(なんがく えじょう) 青原行思(せいげん ぎょうし) 永嘉玄覚(ようか げんかく) 南陽慧忠(なんよう えちゅう) 荷沢神会(かたく じんね)

このうち南岳懐譲の禅統からは潙仰宗(いぎょうしゅう)と臨済宗が生まれ、青原行思の禅統からは曹洞宗・雲門宗(うんもんしゅう)・法眼宗(ほうげんしゅう)が生まれます。

やがて宋代(10〜13世紀)に入ると潙仰宗・雲門宗・法眼宗は廃れてしまい、臨済宗と曹洞宗で禅宗界を二分するようになりました

しかし曹洞宗は臨済宗に及ばず、人々は「臨(臨済宗)は天下、曹(曹洞宗)は一角」と評したそうです。

なお両宗派の修行について、臨済宗は公案(こうあん。禅問答)を重んじる一方、曹洞宗は只管打坐(しかんたざ。ひたすら座禅)を旨とする点に大きな違いがあると言います。

終わりに

悟りを求める道に、終わりはない(イメージ)

今回は禅宗が南北に分断された経緯などについて、ざっくり紹介してきました。

努力志向の秀才気質な北宗に対して、天才肌でインスピレーション重視の南宗という違いが興味深いですね。

言うまでもなく禅学はもっと奥深いので、興味の湧いた方はもっと深掘りすると面白いでしょう。

慧能はじめ多くの名僧たちが遺した言行についても、改めて紹介したいと思います。

※参考文献:

野末陳平 監修『マンガ 禅の思想』講談社プラスアルファ文庫、1999年4月

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