前編では、僧から儒者へと転身した山崎闇斎が、やがて神道と儒学を結びつけて「垂加神道」を生み出すまでをたどりました。
【前編】の記事↓
では、その思想はどのように弟子たちへ受け継がれ、日本の歴史に影響を残していったのでしょうか。後編では、闇斎の学問が広がり、幕末の尊王思想へとつながっていく流れを見ていきます。
闇斎のもとには、佐藤直方、浅見絅斎、三宅尚斎、谷秦山、渋川春海など多くの弟子が集まりました。彼らの活動を通じて「崎門学派」と呼ばれる学問の流れが確立します。
特に浅見絅斎が書いた『靖献遺言』は、忠義の精神を説いた書物として広く読まれました。幕末の志士たちがこれを座右に置いたことで、闇斎の思想は百年以上の時を超えて息を吹き返すことになります。
革命を否定した思想闇斎は、中国の王朝交代の理屈である「易姓革命」を真っ向から否定しました。