時は天正11年(1583年)4月。前年の清須会議以来、対立を深めていた羽柴秀吉(池松壮亮)と柴田勝家(山口馬木也)がついに全面衝突、雌雄を決することとなりました。
この賤ヶ岳の合戦では、秀吉が「美濃大返し(みのおおがえし)」を演じて敵を驚愕せしめ、大勝負を制しました。
今回はこの「美濃大返し」について、わかりやすく紹介したいと思います。
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その陣中へ伝令が駆け込み、近江国大岩山砦(滋賀県長浜市)が陥落し、守将の中川清秀(すがおゆうじ)が討ち死にしたとの急報が入ります。
秀吉は考えました。このまま岐阜城を目指すか、あるいは転進して清秀を討った佐久間盛政(遠藤雄弥)を撃破すべきか。
思案の結果、秀吉は大きく方向転換することを決断します。
……切懸(きりかかりて)可打果事(うちはたすべきこと)有掌中(しょうちゅうにあり)。天下之雌雄(てんかのしゆう)此節也(このせつなり)……
※『柴田退治記』より
【意訳】斬りかかって討ち滅ぼす好機≒敵は我が掌中である。天下分け目の決戦を制するのは今しかない。
岐阜城への道のりは、道中の洪水で閉ざされていました。背中を見せても、信孝が自分たちの背後を衝くのは難しいでしょう。
反対に自分たちも岐阜城へは行けず、大垣に留まっていれば将兵の動揺が広がり、士気が下がる一方です。
ならば盛政が率いている柴田勢の主力を叩いておこうと考えたのでしょう。
古今希有之働也!約52キロを約5時間で走破かくして秀吉は申刻(午後16:00)ごろに大垣を出立すると、大急ぎで盛政のいる近江国木之本(滋賀県長浜市)を目指しました。
その時の様子が『柴田退治記』に記されています。
……飛竜添鞭走。軍卒之面々。逸馬双(並イ)蹄続而前。垂井。関原。藤川。早路逸足而過伊吹山之麓。乗馬殺歩兵切息死者多……
【意訳】天を飛ぶ龍のような速さで馬を走らせ、徒歩の者たちも馬と一緒に走らせた(通常の行軍では騎馬でも徒歩の者にペースを合わせる)。垂井・関ヶ原・藤川そして伊吹山を瞬く間に通過していく。あまりの酷使で馬が死に、徒歩の者たちも多数の死者が出るほどだった。
凄まじい強行軍に先立って、秀吉は使者を発して街道の村々に炊き出しと松明の用意を命じたそうです。
走りながら飯を食い、暗くなったら松明を掲げて走り続けようとしたのでしょう。片手に握り飯を頬張り、もう片手に松明を掲げながら走る姿は、実に狂気じみたものでした。
かくして戌刻(午後20:00ごろ)に木之本へ到着、大垣から十三里(約52キロ)を二時半(約5時間)で走破したことになります。
通常の行軍ペースは1日(約8時間)あたり20~30キロですから、まさに「古今希有之働也(※柴田退治記)」と言えるでしょう。
佐久間盛政を急襲!一気呵成に決着へいっぽう佐久間盛政は秀吉の襲来を事前に察知しており、また勝家から大岩山砦を落としたら、速やかに兵を退くよう指示を受けていました。
しかし盛政は秀吉の進軍速度を甘く見積もり、大岩山で野営していたそうです。
そこへ秀吉の軍勢が木之本まで到達したとの報せを受け、慌てて退却を命じますが、間に合いません。
秀吉の急襲を受けた盛政の軍勢は壊滅状態に陥り、これが合戦の趨勢を決しました。
また前田利家(大東駿介)が勝家を見限って秀吉へ寝返り、勝家は北ノ庄城(福井県福井市)へ敗走します。
そして天正11年(1583年)4月24日、勝家はお市の方(宮崎あおい)と共に自害して果てたのでした。
呉越同舟の宿敵であった勝家を滅ぼし、秀吉は天下獲りの歩みを大きく進めることとなったのです。
終わりに今回は秀吉の「美濃大返し」について紹介してきました。果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、どのように描かれるのでしょうか。
奇想天外なアレンジが加えられるのか、あるいは割愛されてしまうかもしれません。
天下一統に向けて驀進する秀吉と、その背中を追いかける小一郎(仲野太賀)の活躍に、これからも期待しましょう!
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池上裕子ら編『クロニック戦国全史』講談社、1995年12月 『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部、2022年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan