今回は羽柴秀吉(池松壮亮)と徳川家康(松下洸平)が本気でぶつかり合った小牧・長久手の戦いが描かれました。
戦上手の家康を前に苦戦を強いられた秀吉に、小一郎(仲野太賀)が織田信雄(山脇辰哉)との和睦を持ちかけ、政治的な逆転勝利を収めます。
そんな中、丹羽長秀(池田鉄洋)から「秀吉に、信長公を越えさせろ」と託された小一郎は、自らの諱を羽柴美濃守「長秀」をひっくり返して「秀長」と改名したのでした。
かくして「秀長誕生」を遂げた第35回放送から、気になったトピックを振り返って参りましょう!
※関連記事:
【豊臣兄弟!】本多忠勝vs加藤清正「小牧・長久手」“幻の一騎打ち”と2人に隠された意外な共通点 【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機 小牧・長久手の戦い略年表胸を叩いてテンションMAXな徳川軍団。楽しそう!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天正12年(1584年)3月から11月にかけて、約8ヶ月間という長期戦になった小牧・長久手の戦い。その流れをざっくりつかんでおきたいと思います。
3月13日 家康が清洲城に入る 同日 池田恒興が秀吉に寝返り犬山城を占拠する 3月16日 森長可が池田恒興に合流する 3月17日 松平家忠・酒井忠次らが池田恒興・森長可らを奇襲(羽黒の戦い) 3月18日 家康が小牧山城を占拠する 3月21日 秀吉が大坂城から出陣する 3月25日 秀吉が岐阜城へ到着する 3月27日 秀吉が犬山城へ入る 両軍がしばらくにらみ合い、戦線が膠着する 4月6日 「三河中入り」のため池田恒興・森長可・堀秀政・三好信吉らが出陣する 4月7日 徳川勢が「三河中入り」の情報を把握する 4月8日 榊原康政・大須賀康高・丹羽氏次・水野忠重らが出陣する 4月9日 池田恒興らが徳川方の岩崎城を攻略する 同日 休息していた三好信吉の部隊が榊原康政らの奇襲を受けて壊滅する(白山林の戦い) 同日 榊原康政らが続けて堀秀政の部隊を襲撃するが、返り討ちに遭う(桧ヶ根の戦い) 同日 三好信吉らの敗走を知った池田恒興らが徳川本隊と交戦し、討死する(長久手の戦い) 同日 秀吉本隊が陽動のため小牧山城を攻撃するが、楽田城に引き返す その後、再びにらみ合いとなり、戦線が膠着する 6月13日 秀吉が岐阜城へ移動する 6月28日 秀吉が大坂城へ帰還する秀吉が帰還したことで、家康も最前線の小牧山城を酒井忠次(天野ひろゆき)に任せて清洲城へ移りました。
その他にも北陸・四国・関東で羽柴方と徳川方の戦闘が繰り広げられたのは、劇中にある通りです。
やがて9月ごろから和睦交渉が模索され、11月12日に信雄が秀吉と和睦し、続いて家康とも和睦しました。
【豊臣兄弟!】遂に秀吉vs家康の直接対決、勝敗は?全国の猛将が結集「小牧・長久手の戦い」の結末 割愛された森長可池田恒興・元助父子はじめ多くの将兵を喪った三好信吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中で池田恒興(堀井新太)が「家康が小牧山から出て来なければ、三河を攻めてやろう」と献策していました。
この「三河中入り」策が家康に見抜かれ、その裏をかかれた池田恒興・池田元助(柴崎楓雅)らは討死してしまいます。
他にも羽柴方の武将が多く討死しているのですが、本作では森長可(もり ながよし)が割愛されていました。
森長可とは亡き森可成(水橋研二)の嫡男そして森乱(市川團子)の兄で、父譲りの武勇を誇った猛将です。
人間無骨(にんげんむこつ。骨がないかのように人間の身体を貫ける鋭さを持つ意味)という十文字槍を操り、度々武勲を立てたことから鬼武蔵(おにむさし。武蔵守を自称)と恐れられました。
しかし小牧・長久手の戦いで舅である池田恒興らと共に出陣し、そのまま壮絶な最期を遂げたということです。鬼武蔵の暴れぶりも、観たかったなと思いました。
実は織田家を代表する気性の荒さ!?鬼武蔵・森長可の破天荒さがわかるエピソード3選【どうする家康】 反省しない三好信吉劇中では大張り切りで三河中入りの大将を買って出ながら、油断し切っていたところに奇襲を受けて大敗北を喫してしまった三好信吉(山田涼介)。大混乱の中で自身の馬を失った信吉は、家臣の馬(譲られた?奪いとった?)で逃げ延びたと言います。
またこの時に、一族の木下祐久(きのした すけひさ)や木下利匡(としまさ)らが信吉を逃がすために敵を食い止め、命を落としました。
普通そんなことになれば自責の念に駆られそうなものですが、劇中の信吉は「報せが来なかったのが悪いのだから、自分は悪くない」と開き直ります。
実際の信吉がそんなことを思っていた・言い放っていたとは思えませんが、小一郎の死後に起こる不穏な出来事を予感させる一幕でした。
悪行三昧の逸話が残る豊臣秀次。”殺生関白”という不名誉なレッテルは本当だったのか? すべてを失った織田信雄その後ある意味で父以上に波瀾万丈ながら、最後は天寿をまっとうした信雄。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
家康と組んだら土木作業に従事させられ、秀吉と和睦したら「これからもわしのために働いて、ちょ」と見下され……独りひょっとこの面をかぶり、自ら殺してしまった津川雄光(早瀬栄之丞)を偲ぶ信雄。すべてを失って初めて、雄光の忠義を思い知ったようです。
かくして秀吉の軍門に屈した信雄ですが、織田家の威光はいまだ健在でした。後に秀吉が関白となった豊臣政権下では織田内大臣として、序列では秀吉に次ぎ小一郎や家康を上回っています。
後に秀吉が天下一統を果たすと、信雄に駿河・遠江・三河・甲斐・信濃5ヶ国への国替えを命じました。すると信雄は不満を漏らしたため、出羽国(秋田県)へ追放されてしまったそうです。
やがて家康のとりなしで帰還が許され、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として近侍しました。その後も波瀾万丈の生涯をたどり、江戸時代の寛永7年(1630年)4月30日に73歳で世を去ったということです。
【豊臣兄弟!】秀吉の卑劣な罠で織田信雄に粛清され…悲劇の忠臣・津川雄光のあまりに無念な最期 滝川一益は越前に行った?かつて賤ヶ岳の戦いで最後まで秀吉に抵抗したものの、軍門に屈した滝川一益(猪塚健太)は、出家・剃髪していました。
そして越前の丹羽長秀に預けられていましたが、その後も茶会に秀吉を招いたり、東国方面の外交を担ったりなど活躍しています。
小牧・長久手の戦いでは秀吉に与し、信雄方であった九鬼嘉隆(くき よしたか)や前田長定(まえだ ながさだ)らの調略や蟹江城の奪取など武功を立てました。
しかし奪った城を奪還されて命からがら逃げ帰った一益は再び隠居し、天正14年(1586年)9月9日に越前国で世を去ったと言います。享年62歳。
劇中では丹羽長秀から「越前に来い」と誘われていましたが、あれは「また来てくれよ」というニュアンスだったのでしょう。
国より茶器が欲しい!『豊臣兄弟!』に登場する戦国武将・滝川一益が欲しがった“伝説の茶器”珠光小茄子 丹羽長秀の最期は?第1回放送「二匹の猿」からずっと兄弟の面倒を見てくれた丹羽長秀とも、これでお別れ。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
小一郎に「(お互い長秀という諱では紛らわしいから)次会うまでに名を変えろ」「秀吉に信長公を越えさせろ」と言って別れた丹羽長秀。ナレーションでこれが最後と告げられますが、丹羽長秀はどんな最期を遂げたのでしょうか。
時は天正13年(1585年)4月16日、丹羽長秀は寸白(すんぱく。寄生虫サナダムシ)のために亡くなりました。享年51歳。
『多聞院日記』によると、苦しみ悶える中でも武士として最期を遂げるために自刃して果てたと言います。劇中では穏やかな性格で豊臣兄弟と接してきましたが、実際には激情を秘めた人物だったようです。
こうしてまた一人、信長時代からの古参家臣が退場し、時代は着実に進んで行くのでした。
【豊臣兄弟!】地味だが最強の名臣・丹羽長秀!織田信長が手放さなかった3つの理由 長秀から秀長へ改名した小一郎羽柴長秀改め秀長となった小一郎。羽柴「長々」もちょっと試してみたかった?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
オープニングで「羽柴美濃守長秀」となっていた小一郎。これからも小一郎と呼ばれ続けると思いますが、名前の変遷を改めて確認しましょう。
『太閤素生記』によると、幼少期は小竹(こちく)とあだ名されたそうですが、史料的な裏づけはありません。
やがて元服して小一郎と改名し、織田家臣となった当初は木下小一郎長秀と称しました。これは織田信「長」と木下藤吉郎「秀」吉を合わせたものと考えられています。
天正3年(1575年)ごろに羽柴小一郎長秀と苗字を改め、天正12年(1584年)5月4日付の書状では羽柴「美濃守」長秀と署名していました。そして同年6~9月ごろに長秀から秀長と改めたのです。
これはかつて信「長」すなわち織田家をいただいてきた「秀」吉が、力関係の逆転によって秀を長の上に持って来たためと考えられます。
ちなみに三好信吉も、小一郎と同時期に、信吉(信長=織田家をいただく状態)から「秀次」と改名しました。
諱は秀長で終生変わりませんが、まだまだ立身出世の街道をひた走る豊臣兄弟。呼び名の変遷も表現されるのか、これからも見守っていきましょう。
『豊臣兄弟!』なんと勝率9割超!豊臣秀長(小一郎)“負けない弟”の証明となる“全戦歴”完全版 第36回放送「姫若子と鬼若子」第37回放送「姫若子と鬼若子」。長宗我部元親の意地を見られるか?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
信雄(山脇辰哉)と和睦したことで、秀吉(池松壮亮)と家康(松下洸平)の戦はいったん収束。だが四国では、四国一統を悲願とする長宗我部元親(磯部寛之)が反旗を翻す。秀吉は、四国攻めの総大将に秀長(仲野太賀)を指名。秀長は、世に秀吉の力を誇示するため、天然の要害・四国を圧倒的な力で攻め落とす大規模作戦を実行する。そのころ秀吉は、ある重要な目的のため京を訪れていた。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
さて、次週は小一郎が総大将を務める四国攻めが描かれるようです。姫若子と侮られてきた長宗我部元親(磯部寛之)が「鬼若子」に変身する雄姿が見られるのでしょうか。
かつて「土佐に来たら、美味い酒と魚をご馳走してやる」と言われていた小一郎ですが、果たして美味い酒が酌み交わせるのか、楽しみに見届けたいと思います。
※関連記事:
【豊臣兄弟!】本多忠勝vs加藤清正「小牧・長久手」“幻の一騎打ち”と2人に隠された意外な共通点 【豊臣兄弟!】徳川四天王、猛将・本多忠勝(夏生大湖)が“最期に残した言葉”と家康を救った3つの危機日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan