天下一統を果たした豊臣秀吉の野望は、日本国内だけにとどまりませんでした。
夢は大きく唐天竺(からてんじく。中国・インド)と膨張していく中、多くの家臣たちが東奔西走したと言います。
今回はそんな一人である原田喜右衛門(はらだ きゑもん)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな活躍を果たしたのでしょうか。
秀吉に仕え対フィリピン使節に原田喜右衛門は生年不詳、元は畿内出身だったと言います。それが思うところあってか長崎へ移り住み、商人としてフィリピン貿易を展開していました。
やがて洗礼を受けてキリシタンとなり、パウロと名乗りますが、後に棄教しています。
恐らく南蛮人コミュニティに近づけば商売もやりやすかろうと洗礼を受けてみたものの、後に秀吉がキリシタンの規制に乗り出すと、商売に不都合と思って棄教したのでしょう。
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