奈良県の明日香村・橿原市・桜井市にまたがる遺跡群「飛鳥・藤原の宮都(きゅうと)」が、今年7月26日に世界文化遺産に正式登録されました。
「飛鳥・藤原の宮都」は、宮殿・官衙跡、仏教寺院跡、墳墓(古墳)の3つの類型からなる、全19の構成資産で構成されています。
今回は、墳墓(古墳)の中から「キトラ古墳」を取り上げ、2回にわたってその全容をひも解きます。
[前編]では墳丘と石槨、そして石槨に描かれた壁画を、[後編]では出土した遺物も含め、その被葬者像に迫っていきましょう。
古墳に関する話題はこちらの記事もオススメです。
奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた 卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【前編】国営飛鳥歴史公園内のキトラ古墳周辺地区にある、阿部山と呼ばれる丘陵の中腹に位置する「キトラ古墳」。このあたりは、藤原京の南方に広がる古代の皇族や貴族たちの墓域にあたるとされます。
また、藤原京の朱雀大路から南へ真っ直ぐ延びる中軸線上は、一説には「聖なるライン」とも呼ばれ、古代の人々が意識した聖なる空間という観点からも、興味深い場所といえるでしょう。
キトラ古墳が注目を集めたのは、1983年(昭和58年)、石槨内のファイバースコープ調査によって「壁画」が発見されたことでした。
その約10年前の1972年(昭和47年)には、北に約1.2キロメートル離れた高松塚古墳から極彩色壁画が発見されています。
現在までに、このような本格的な彩色壁画が確認されている古墳は、国内ではこの2基のみです。キトラ古墳の壁画の存在が明らかになると、考古学界だけでなく、一般社会からも大きな関心が寄せられました。
キトラ古墳は、阿部山から東西に延びる丘陵の南斜面を削平した平坦地に築造されています。これは、日本の古墳によくみられる立地で、谷の奥に古墳を造り、石槨の入り口を南に向けています。古墳の周辺からは、葛城山や金剛山を望むことができます。
では、ここからは墳丘についてみていきましょう。
墳丘は、2~3cmの厚さに土を積み重ねて搗き固める、版築工法によって築かれています。墳形は、テラス状の下段をもつ二段築成の円墳です。
その規模は、下段の直径が13.8メートル、上段の直径が9.4メートル。高さは下段が約0.9メートル、上段が約2.4メートルとされます。
高松塚古墳の下段の直径23メートル、上段の直径18メートルと比べると、キトラ古墳が小規模であることがわかります。
築造時期は、終末期古墳の最終段階にあたる7世紀末~8世紀初頭ころ。高松塚古墳もほぼ同じ時期に築造されたと思われますが、多くの研究者はキトラ古墳が先行して造られたとしています。
続いて、埋葬施設をみていきましょう。
石槨の原寸大レプリカ/キトラ古墳壁画体験館(撮影:高野晃彰)
棺を納める石槨は、二上山産の凝灰岩の切石を組み上げた横口式石槨で、墳丘中央に設けられていました。
石槨には、直方体に加工した切石が使われ、天井石には約17cmの屋根形のくり込みが設けられています。切石は、床石4、扉石1、奥壁2、天井石4、西側3、東側4の計18個を数えます。キトラ古墳の石槨では、この屋根形のくり込みも特徴の一つといえるでしょう。
石槨内部の広さは、奥行約2.4メートル、幅約1.0メートル、高さ約1.2メートルで、高松塚古墳とほぼ同規模です。
そして、石槨内の天井・側壁・床面には、厚さ数ミリの漆喰が塗られています。そのうち、天井と側壁の真っ白な漆喰面に、四神や十二支、天文図などの極彩色壁画が描かれていたのです。
キトラ古墳に描かれた色彩壁画についてさて、ここからはキトラ古墳の石槨内に描かれた壁画をみていきましょう。
被葬者を囲う壁画のイメージ/キトラ古墳壁画体験館(撮影:高野晃彰)
その構成は、北壁に玄武、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎。そして、各壁面には十二支像が配され、天井には天文図、日像・月像が描かれるというものです。
四方の壁に描かれた玄武、青龍、朱雀、白虎の四神は、天の四方を司る神獣とされます。
玄武(北壁)は冬の季節を象徴し、色は黒があてられます。青龍(東壁)は春の季節を象徴し、青があてられています。
そして、朱雀(南壁)は夏の季節を象徴し、色は赤があてられ、白虎(西壁)は秋の季節を象徴し、白があてられているのです。
また、四神の下には、動物の頭と人間の体で十二支を表した獣頭人身の十二支像が描かれています。右手には武器や道具を持っているのが特徴です。
北壁中央の子から時計回りに、方位に合わせて各壁に3体ずつ、計12体が配置されていたと考えられます。しかし、現在確認できるものは、子、丑、寅、午、戌、亥の6体です。
そして、天井中央部に描かれた「キトラ天文図」と称される天文図。天井の東西にある斜面部分には、東側に金箔で日像が、西側には銀箔で月像が表現されています。
この天文図は、天の北極を中心とした円形の星図で、360個以上の星々が金箔であしらわれており、それらを朱線によって結んだ中国の星座は、現在のところ74座が確認されています。
このキトラ天文図の大きな特徴は、朱線で描かれた4つの大円です。
内側から順に「内規」「赤道」「外規」とされる3つの同心円に加え、北西にずれたもう一つの円は「黄道」を示しています。
これらの構成や星の配置などから、観測地は北緯34度付近、中国の長安周辺とする説があります。ただし、天文図の観測地や制作地については、なお検討を要するでしょう。
いずれにしても、4つの大円を備えたキトラ天文図は、本格的な中国式星図としては現存する世界最古の実例と評価される、極めて貴重なものです。
ちなみに、北緯34度という緯度は「太陽の道(レイライン)」とも呼ばれ、神社など多くの聖地がこの線上に位置すると考えられています。
この点もまた、キトラ古墳を語るとき、尽きることのない興味をかき立てられるのではないでしょうか。
さて、[前編]はここまでとします。
[後編]では、出土した遺物と、今回取り上げた墳丘や壁画の特徴を踏まえ、いよいよキトラ古墳の被葬者像に迫っていきます。どうぞ、ご期待ください。
※古墳に関する話題はこちらの記事もオススメです。
奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた 卑弥呼の墓はここか?箸墓古墳を検証――倭国を創出した卑弥呼・台与・崇神天皇の古墳【前編】日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan