[架神恭介の「よいこのサブカル論」]

少年ジャンプを100倍楽しむ方法!「ドライ系主人公」を考察

 僕たちが日頃さらりと消費しているアニメ、小説、漫画などの創作作品。特に意識せずこれらの作品を受容している僕たちですが、当然ながら作り手側にはさまざまな困難があるものです。

 中でも特に難しいのが主人公の作り方ではないでしょうか。常人離れした何かを持たなければ主人公である意味がないのに、常人からかけ離れてしまうと今度は読者が感情移入できません。そのアンビバレンツを乗り越えて造らねばならぬところに主人公造形の難しさがあります。

 というわけで、今回は週刊少年ジャンプの連載漫画の主人公を分析し、造形上のポイントを探ってみようという試みです。以下は本記事執筆時の最新号である2014年41号に掲載されているすべての連載漫画の主人公の、その特徴を思いつくままに挙げていったものです。

※『トリコ』のように主人公のイメージが初期からかなり変化した作品に関しては、できるだけ連載初期の姿を思い出しながら挙げています。『ワールドトリガー』はW主人公作品と理解し、オサムとユーマ、二人を主人公扱いしています。『暗殺教室』は群像劇なので明確な主人公というべき人物はいませんが、視点人物に近い渚を主人公と仮定しました。

ドライ系に属するルフィ、トリコ、ユーマ、ソーマ

 少年漫画の主人公によくあるのが劣等感を抱えた弱者の主人公。その一方で、ドライ系の主人公類型があります。ルフィ、トリコ、ユーマ、ソーマなどが該当します。ここで言うドライとは、独特の価値観を持ち、僕たち一般人が抱く感傷とは一線を画した精神性の持ち主であることを指します。

 例えば、初期のトリコは戦闘力を持たない小松が危険な狩りへ同伴することを認めますが、これは旅の途中で小松が死んでも構わないと考えていたからです。僕たち一般人の感覚であれば、そのような危険な旅に小松を連れて行くことを躊躇いますが、トリコは独特の価値観ゆえに小松を連れて行くなど、死生観に関してドライなのです。

 ドライなキャラクターには共通項があり、上記4キャラクターはどれも特殊なジャンルの達人たちです。「海賊」「美食家」「軍人」「料理人」というそれぞれの世界に生きている者たちであり、彼らの生きている世界が僕たちと異なるために、彼らは独自の世界観、価値観を獲得し、結果的に死生観や倫理観において僕たち一般人と異なる反応を示すのです。

 そして、このようなドライさは読者に驚きをもたらします(「えっ! この主人公、小松が死んでも構わないと思ってるの!?」)。それにより主人公たちが生きている「別の世界」を読者は感じ、それへの憧れを抱くのです。読者が「カッコイイ」と感じる主人公類型の一つの形として、この「ドライ型主人公」を挙げることができると思います。

 ただし、ルフィにせよトリコにせよ、話が進むごとにやや性格的に丸くなっていきました。トリコも今では何があろうと小松を助けようとする間柄に成長しています。それは物語上、必然性のある関係性変化ではありますが、結果、かつてのシビアでドライな世界観は失われ、ウェットな雰囲気が強くなりました。

「別の世界に生きているプロのカッコ良さ」はだいぶ薄れたと言わざるを得ません。かつては周りを踏み台としか見ていなかったソーマも、仲間を助ける行動に出ることがあります。話を進めていくとドライなばかりの主人公では読者の共感が得られず、描き辛くなっていくのかもしれません。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『仁義なきキリスト教史』(筑摩書房)

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