【日米野球】先発の藤浪晋太郎や大谷翔平が背負って立つ侍ジャパンの軌跡

2017年のWBCを見据えた侍ジャパンに注目

 8年ぶりに開催中の日米野球。大谷翔平や藤浪晋太郎など、今後の日本プロ野球界を背負って立つ若手が数多く選出されたこともあり、チケットは全戦ほぼ完売。そんなファンの声援に後押しされるように、侍ジャパンが躍動している。

 日本代表の小久保裕紀監督が、「2017年のWBCに向けた強化試合という意味合いが強い。相手がどのようなスタンスでも、真剣勝負にこだわっていきたい」と大会前に話した通り、日本代表は超本気モード。お祭りムードのメジャー代表を相手に、第3戦では継投ながらノーヒットノーランを達成してみせた。

 2017年WBCでの、世界一奪還も夢ではない。そこで今回は、これまで日本代表が歩んできた軌跡を、オリンピックとWBCを中心に振り返ってみた。

プロ野球選手を招集も高い世界の壁

 まず、いまでこそ国際試合となればプロ野球選手が参加できるようになったが、プロ選手の参加が容認されたのは、1998年。国際オリンピック委員会から、プロ選手が派遣要請を受けたのがきっかけだった。

 ただ、実際にプロ選手が参加したのは、1999年のシドニーオリンピックからだ。プロ解禁となった1998年のアジア大会。アマチュア代表で望んだ日本は、オールプロで望んだ韓国代表に惨敗し、銀メダルに終わる。このままでは、オリンピックでのメダル獲得は困難と判断され、シドニーオリンピックアジア予選でプロアマの混合チームが誕生。プロから選出された選手は、8選手。松坂大輔、古田敦也、野村謙二郎と、そうそうたるメンバーが出場したのだが、これまたオールプロで参戦していた韓国に決勝で3-5で敗れ準優勝。オリンピック出場権は得たものの、プロを擁しての敗戦は喜べるものではなかった。

 そして翌2000年のシドニーオリンピックにも、プロアマ混合チームで参加。このときも松坂大輔、黒木知宏、中村紀洋といった当時のプロ野球界の看板選手8名が名を連ねたが、準決勝でキューバに敗れ、3位決定戦では再びオールプロで望んだ韓国に敗れてしまう。結果的に、野球がオリンピック競技になってから初めてメダルを逃すという屈辱の結果となってしまった。敗戦後のインタビューで、人目もはばからず涙する中村紀洋の姿がその無念さを現す象徴的な大会であった。

 この敗戦を機に、2004年のアテネオリンピックにはオールプロで出場することが決定した。監督には、ミスタープロ野球・長嶋茂雄が就任。大きな関心を呼んだが、結果は、準決勝のオーストラリア戦に1-0でまさかの敗戦。3位決定戦でカナダに圧勝しメダル獲得はなるも、オールプロで挑み金メダルが確実視されながらも銅メダルという結果には、ファンは納得できるものとは言えなかった。

第1回WBCで世界一のチームに

 そんなファンのモヤモヤを吹き飛ばしのが、2006年開催された、第1回WBCだ。日本代表は1次リーグでの韓国戦に敗戦。2位で1次リーグを突破したものの、2次リーグでも、タッチアップを巡る微妙な判定もありアメリカに敗れてしまう。続く韓国戦にも敗れ、日本の2次リーグ敗退がほぼ決定。だが、ここからまるで漫画のようなミラクルが起こる。勝てば2次リーグ突破のアメリカが、格下と思われていたメキシコに負けてしまったのだ。この結果、失点率の一番低かった日本が奇跡の準決勝進出を果たした。

 首の皮一枚で生き残った日本は、続く準決勝で韓国と今大会3度目の対戦。前戦で屈辱的な敗戦をし、対韓国戦連敗で向かえた準決勝。その0-0で迎えた7回、今大会不振でスタメンを外れていた福留の代打ホームランでついに先制。この劇的な1打で勢いづいた日本は、6-0で韓国を圧倒。勢いそのままに、決勝ではキューバを破り見事世界一の栄冠を勝ち取るのだった。

 このあまりにも劇的な展開に、国内は大きな盛り上がりを見せた。それを裏づけるように、平日午後にも関わらず、テレビの視聴率は関東で平均43.4%。瞬間最高視聴率は56%と、もはや異常値という呼べるほどの数値を叩き出したのだ。

世界一から再び転落……“侍ジャパン”が誕生

 2008年、WBC初代チャンピオンの看板をひっさげて参加した北京オリンピック。日本代表に課せられた使命は、当然金メダルのみ。だがそこには、悪夢が待ち受けていた。結果は、まさかの4位。メダル獲得すらならなかったのだ。そのため、2009年の第2回WBCは、北京での敗戦ショックを埋めるには絶好の舞台となった。紆余曲折あって選出された原辰徳監督は、

「今までは監督の苗字+ジャパンで呼ばれるのが通常であったが、自分は“監督の苗字+ジャパン”のように呼ばれるような値の人間ではない。それに“ジャパン”というのは未来永劫続く、野球界の誇りであり憧れのチームだという風に思っているので、何か違う形での名前を考えてくれないか」

 と発言。これを受け、日本の魂を持つ集団という意味合いも込めて、“侍ジャパンという名称が決定。今日に至っている。前回大会に引き続き、メジャーリーガーのイチローが参戦。そのほかにも、岩村や福留といったメジャーリーガーが選出され、北京オリンピックのリベンジの舞台は整った。

 侍ジャパンは順調に勝ち進み、決勝の韓国戦では、延長戦の末に5-3で勝利。2大会連続の優勝を成し遂げる。延長10回、韓国の絶対的クローザー・林から、不調に苦しんだイチローが決勝打を放つシーンは、未だに鮮明に覚えているファンは多いだろう。連覇によって、再び世界一の地位を手に入れたのだ。

 しかし、現在、世界一の称号は失われている。まだまだ記憶に新しい、2013年に開催された第3回WBCでの敗退が原因である。メジャー組は不参加、国内選手のみで挑んだ大会は、準決勝でプエルトリコと対戦するも、不可解なダブルスチール失敗もあり、3-1で敗れた。3連覇の夢が儚く散るのと同時に、世界一の座を手放したのである。

 あの悪夢から1年、侍ジャパンは世界一奪回に向け再び動き始めた。新機構を発足、17年世界一奪回を目標に日米野球に挑んでいる。3年後、侍ジャパンの主力になるであろう若き選手達が集結した今大会、メジャーリーガー相手に躍動する姿を、3年後のWBCで見られることをファンは願って止まないのだ。

(取材・文/井上智博)

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