[東條英利の「日本人の教養」]

「未」と書いて「ひつじ」と読む意味とは?

「未年」が持つ本来の意味とは

 2015年は「未」と書いて「ひつじ」年。ということで、毎年当たり前のように迎える干支について少々振り返ってみたいと思います。

 そもそも、なぜ「未」と書いて「羊(ひつじ)」なのか。実はこのことについては正直わかっておりません。

 一応、十二進法でいう八番目にあたるのがこの「未」となるのですが、もともとは、中国では読み書きが不十分だった農村部に対して数を覚えやすくするために身近な動物があてがわれたとも言われております。このため「なぜ羊なの?」と言われても、たまたま彼らにとって身近な存在だったんじゃないの?と言われれば、実際そうなのかもしれません。

 事実、「羊頭狗肉(ようとうくにく)」という言葉にも象徴されるように、これは「羊の頭を掲げながら実際には犬の肉を売る」という「言っていることとやっていることが大きく違う」場合に用いられる四字熟語がありますが、羊が家畜として中国の人たちにとって非常に馴染みの深い動物であったということがこうした一言を見てもわかります。

 それだけにこうした十二支の一つに迎えられたというのは決して不思議なことではないでしょう。ちなみに、この「羊頭狗肉」。よくよく考えたら、コピー天国と揶揄される今の中国そのものなんですね。ある意味、昔からあった風潮なのかもしれません。

 ただ、そんな「羊」も大した意味は持っていなくてもその言葉の放つイメージから特定の感情を覚えることは少なくないようで、中国では今、未年を迎えるにあたって、結婚・出産ラッシュを迎えているようです。一つは、その「羊」に対するイメージ。「羊」は家畜で飼育できることからも従順なイメージがあり、世の中をけん引するようなリーダー的な資質に欠けるという印象を持たれています。

 そして、二つには迷信。これは中国に「十羊九弱」という言葉に表されるように、未年の子は短命で不幸せと信じられていて、あまりいい印象を持っていないようです。しかし、羊は集団で生活を営むことから「家族愛」にも恵まれた温厚なイメージもあるはずなのですが、やはり生まれてくる子は獅子のように強い子であって欲しいと願うのは数々の覇権にまみれた中国の歴史を反映したものなのかもしれません。

 ただし、そうした感覚があまりに行き過ぎてしまったがためか、近年、午年である年内に出産を済まそうと帝王切開手術に及ぶ者や未年の出産を避けて人工流産手術にまで及ぶ方がいると言います。ニューヨーク・タイムズ紙では、こうした影響もあって、遼寧、山東、甘粛省の出産数が大幅に増加したと言いますから、あながち迷信で済まされない部分があるのかもしれません。

 そんな「未年」の真意は、この「未」という言葉にあるとされ、本来、成長途上の植物を意味します。これは、十二支そのものが「植物の発育段階」を示しており、「子(ね)」が「種」を示し、「亥」という「結実」で終わると考えればおおよその理解はできます。このため、「未」は、「木が伸びきっていない状態」を示した言葉で、よく、「未熟」、「未来」なんて言いますが、これらは植物が熟す一歩手前の状況にちなんで、「まだ、○○していない」という状態を表しているのです。ある意味、人生で言うところの油の乗り始める一歩手前の20代、30代と例えれば、本来、伸び代を含んだ元気で勢いのある縁起のいい年とも言えます。実は安部首相が引き合いに出した未年の意味もまさにこの点にあります。

 そう考えると、「羊」の持つイメージとこの季節性は正直あまり関係がないのですが、思い込みというのは時として本来の意味を超えてしまうことがあるというのは実に興味深いところですね。さて、今年はそんな「未年」を体現できるのでしょうか。私も言葉通りの一年を迎えたいと思っています。

著者プロフィール

一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター

東條英利

日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、一般社団法人国際教養振興協会を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。

公式サイト/東條英利 公式サイト

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