2月1日のプロ野球キャンプインまであとわずか。そんな中、特に横浜DeNAベイスターズの選手たちにとって、衝撃的なニュースが飛び込んできた。自分たちのチームに、日本プロ野球界初となる女性オーナーが就任したのだ。
80年以上の歴史を持つ日本プロ野球界で、歴史上初の女性オーナーとなったのは、株式会社ディー・エヌ・エー取締役の南場智子氏。IT業界では、その名を知らぬ者はいない、と言われるほどの人物である。今後、南場氏がどのような手腕を発揮するか楽しみだ。日本にもアクが強いオーナーは過去にたくさんいたが、メジャーリーグの世界では日本以上に大きなインパクトを与えたオーナーがゴロゴロいる。今回はメジャーリーグの過去の名物オーナーたちを紹介しよう。
マフィアと手を組んだ噂が流れたオーナー!?
日本で最も有名なメジャーリーグのオーナーといえば、ジョージ・スタインブレナー氏だろう。1973年にヤンキースを買収後、ジョー・トーリが監督に就任する1996年までの23年間で、なんと20回も監督を交代させた名物オーナーだ。
1990年には、当時ヤンキースの主力打者であるデーブ・ウィンフィールドの放出を画策。その際には、スタインブレナー氏がマフィアと手を結んだという噂が流れ、コミッショナーから2年間のオーナー資格停止処分が科せられた。
この処分に関するニュースがヤンキースタジアムに流れた時は、試合中にもかかわらず、ファンが総立ちで拍手。これほどまでファンから嫌われたオーナーも珍しいといえる。
自分が所有する球団を愛するが故に、今では考えられない行動をとったオーナーもいた。1977年、ブレーブスのオーナーだったデッド・ターナー氏は、なんと当時の監督、デーブ・ブリストルを差し置いて、自ら監督となってベンチに入り、チームを指揮した経験の持ち主だ。
16連敗の泥沼にハマったチームを救うべく、5月11日のパイレーツ戦で「自分が指揮を取る」と言いだしたターナー氏。実は野球に関しては全くの素人で、残念ながらターナー“新監督”のもとでもチームは敗れ、17連敗を喫してしまった。オーナーでありながら監督も務めたターナー氏こそ、本当の「ワンマン・オーナー」といえるだろう。さすがに当時のリーグ会長から「待った」がかかり、次の試合から元の監督に戻ったという。
仰天の改革案を出したオーナーとは?
1960年にアスレチックスのオーナーに就任したチャーリー・フィンリー氏も個性的なオーナーだった。驚かされるのがその発想力。当時、急速に普及し始めたカラーテレビの登場にあわせて、ボールをオレンジ色に塗ろうと提案したり、試合のスピードアップを図るために四球を3球のボールで出塁できるようにしようとしたり、数々の仰天の改革案を提出。これには他のオーナーも苦笑。そんなフィンリー氏は選手からも嫌われていたという。
しかし、そのアイデアのなかには先進的なものもあった。例えば、テレビの視聴率を上げるために、ワールドシリーズをナイトゲームで行うことを提案。この発想は時代を先読みした素晴らしいアイデアで、現在まで引き継がれている。
また、代走専門の選手を獲得したのも、フィンリー氏が初めてといわれている。1974年に入団したハーブ・ワシントンという選手は、野球選手ではなく屋内陸上の短距離走者で、世界記録も樹立したスプリンター。フィンリー氏はワシントンの足なら代走専門選手にはうってつけだと考え、チーム編成部に獲得を指示。ワシントンは92試合全て代走として出場し、盗塁は29回の成功に対して、失敗は16回と成功率は低く、この選手獲得は失敗に終わったものの、今につながる選手起用の先駆けとなった。
そんなフィンリー氏がオーナーを務めた期間、チームは3年連続世界一に輝くなど好成績を残した。しかし、1976年にFA制度が導入されてから、チームの戦力は急降下。主力選手が次々に他球団へ移籍してしまい、あっという間に弱小球団になってしまった。フィンリー氏も1980年には球団を売却して、球界から去った。
IT業界のカリスマ女性経営者とよばれる南場氏がプロ野球経営に乗り出すとなれば、日本球界ではこれまでなかったアイデアや発想が出てくる可能性もあるだろう。今シーズンのプロ野球は、球界初の女性オーナーの手腕にも注目したい。
参考文献/大雑学6ザ・メジャーリーグ(日本雑学研究会著)
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