ピース又吉のデビュー小説『火花』にみるお笑い芸人の本質

注目を浴びる『火花』

 1月7日に発売された文芸雑誌『文學界』(文藝春秋)2015年2月号が、1933年の創刊以来初めて増刷されたことが話題になっている。この号では、芸人・又吉直樹の文芸誌デビュー作『火花』が掲載されている。この作品が注目を集め、発売初日で品切れとなったため、文藝春秋は増刷に踏み切った。

『火花』という物語の語り手は、スパークスという漫才コンビの徳永という人物。彼は二十歳のとき、営業先の熱海であほんだらというコンビの、神谷なる先輩と知り合う。一緒に飲みに行った2人はすぐに意気投合して、徳永は「弟子にして下さい」と神谷に頭を下げた。それから2人の交流が始まった。

 神谷は「漫才師の日常の行動すべては漫才のためにある」という持論を持っている。よどみのないしゃべりで徳永を圧倒し、自分が面白いと思うことだけをひたすら追求する。その反面、人付き合いは苦手で芸人仲間からの評判は悪い。私生活では女性の家に転がり込み、消費者金融で借金を重ねながら徳永に酒をおごってくれる。

 一方、徳永は神谷ほど純粋に芸に向き合うことができていない。だからこそ、神谷への強い憧れと劣等感を同時に抱えている。ただ、必死で努力を重ねた結果、徳永のスパークスは少しずつ軌道に乗り始め、漫才だけで食べていけるようにもなっていた。そんな神谷と徳永の奇妙な師弟関係がこの物語の主軸になっている。

お笑い界にも当てはまる味わい深さ

 一お笑いファンとして、この小説で特に興味深いと思ったのは、ところどころで神谷が徳永に語る持論の数々。それは、一見すると青臭い理想論のようでもありながら、どこか泥臭くて現実的なところもある。例えば、新しいものを論理的に批評するのは難しい、と神谷は言う。

《「……新しい方法論が出現すると、それを実践する人間が複数出てくる。発展させたり改良させる人もおるやろう。その一方でそれを流行りと断定したがる奴が出てくる。そういう奴は大概が老けてる。だから、妙に説得力がある。そしたら、その方法を使うことが邪道と見なされる。……」》

 新しい発想を成熟させずに捨てるなんてもったいない。確立するまで待てばいい。それができない鬱陶しい年寄りの批評家が多い分野は必ず衰退する。そんな神谷の話は、現実のお笑い界にも当てはめられる味わい深い話だ。

 例えば、8.6秒バズーカの「ラッスンゴレライ」はまともなネタだと言えるのか? ただの一時の流行りにすぎないのだろうか? 幸か不幸か、現在のテレビ・お笑い界では「ウケれば勝ち、売れれば勝ち」という市場原理主義の方がはるかに強く、評論家や大御所の権威がそれほど幅を利かせていないように見えるのだが。

 ほかにも、「笑われたらあかん、笑わさなあかん、という言葉のせいで笑われるふりができにくくなった」「誹謗中傷は正面から受け止めろ」など、神谷の持論が展開される箇所はいくつかある。それは、物語の中でも彼の内面を描く重要な場面であると同時に、単なるお笑い語りとしても見逃せない濃密さを持っている。

 物語の終盤、「芸人の世界には勝ち負けがある。でも、淘汰される側の存在も決して無駄ではない」という趣旨のことを神谷は口にする。ここは、物語のクライマックスでもあり、芸人という仕事の根本を語っている部分でもある。ここはぜひ、本編を直接読んでじっくり味わってほしいところだ。

 月並みな言い方になるが、この作品はやはり自身も芸人である又吉にしか書けなかった小説だと思う。神谷の言葉、徳永の思い、ひとつひとつに芸人としての血が通っている。お笑い好きであれば間違いなく心に刺さる作品だ。

ラリー遠田
東京大学文学部卒業。編集・ライター、お笑い評論家として多方面で活動。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務める。主な著書に『バカだと思われないための文章術』(学研)、『この芸人を見よ!1・2』(サイゾー)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある
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