【戦後アウトローの実像】元祖愚連隊「安藤組」元組員インタビュー

【戦後アウトローの実像】元祖愚連隊「安藤組」元組員インタビュー

「当時の私達のセンスはイタリアのマフィアですよ。Aのマークのバッチ付けて、スーツで事務所に行く事を義務付けられていたし。刺青、指詰め、シャブなど絶対に禁止。それに今の人達と違うのはダンスホールが盛んで基本的にみんなダンスが踊れて上手かったな」

 そう語る、この男は戦後から昭和30年代にかけて、東京で恐れられていた安藤組に在籍していた人間である。安藤組とは昭和39年に解散した愚連隊だ。正式名称を東興行と呼ぶ(以下安藤組)。名前は本人の希望もあり名字を実名とした。その理由は、記事の中に本名を出さざる得ない人間が登場する為、自分の名前を仮名にするのは不公平だという本人の希望からである。

――お名前は?

「私は大平と言います」

――今おいくつですか?

「今年で75歳になるね」

――安藤組にはいつごろ、所属していたのですか?

「私がグレ始めたのは、14歳の時で事務所に入ったのは20歳前後かな。解散したのが24~25歳の時だから実質安藤の看板を使っていたのは5~6年だよ」

――その後は何をなさっていたのですか?

「知っている通り、安藤組が解散してみんな色々散ってしまったろ。知ってるだけでも住吉会、稲川会、右翼系、小金井一家とか。俺は思う事があって、組織には入らないで、愚連隊みたいな事を40歳位まで続けてその後は会社興して今は息子に譲って悠々自適の生活かな」

――当時の安藤組は学生が多かった、と記述があるのですが、実際はどうだったのてす?

「幹部の人達は大学卒業とか組員は現役の大学生が多かったね、俺は違うけどな」

――有名な方も多く出されていますよね?

「一番有名なのはやはり社長の安藤昇社長でしょう、あの人は格好良かったな。白とかチェックのスーツを着ていてポンティアックに乗っていたな。いつも芸能人の女を横に乗せて」

――その他の方たちの思い出はありますか?

「一番印象深いのは、社長が出所間際に殺されたた西原の兄貴かな、色々な意味で思い出は深い。

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