森喜朗元首相と新国立競技場問題を改めて考える|プチ鹿島の『余計な下世話!』

森喜朗元首相と新国立競技場問題を改めて考える|プチ鹿島の『余計な下世話!』

 森喜朗を考えることは日本の政治家について考えることと同義だと思うのです。だって不思議ではないか。総理大臣まで務めた人なのに世の中では尊敬されていない。でも、どうやら面識のある人には絶大に支持されていそう。これ、まさに日本の政治家の象徴だ。

●気がついたら重要な役職にまだいる森喜朗

 では我々は森喜朗を半笑いで見てればいいかというと、そんな悠長な存在でもない。なぜなら森喜朗はいまだに表舞台に出ているからだ。「東京五輪・パラリンピック組織委員会会長」の座にいつの間にか就いていた。気がついたら重要な役職にまだいる。笑っているうちに何か大変なことがあったらどうするのだ。森喜朗は町長とかローカルな存在だったら誰も不幸にはならなかったと思う。しかし座持ちが良すぎて、すいすい中央のトップに行ってしまった。そして「新国立競技場」である。

 私が最初にザワザワしたのは「AERA」の「計画ずさん会場ピンチ 深刻な五輪準備遅れ、ブラジルを笑えない」(2014年1月27日号)という記事だった。

《一連の背景には、「国立競技場将来構想有識者会議」のメンバー、森喜朗元首相の「2019年ラグビーワールドカップは新国立競技場で」という鶴の一声がある。いわば、新国立競技場は19年の完成が至上命題となり、それに間に合うタイトなスケジュールが要求された》とあった。

 まさしく自称ラガーマン・森喜朗の名誉と悲願のための新国立競技場ではないか。最近はこんな発言をしている。

「建て替えへの道を開いたのは20年五輪ではなく、19年のラグビーワールドカップ(W杯)の招致成功です。W杯に間に合わなくてもいい、という話になったら、あまりにラグビーがかわいそうだ。」(朝日新聞・6月9日)

 見事な論理のすり替えだ。ラグビーワールドカップ招致が成功したのは国立の「建て替えを約束」したからだろう。8万人規模のスタジアムが必要だったから、そのようにプレゼンした。そのあと運良く東京五輪も決まった。イケイケになった。だからこんなことも言っている。

「3、4千億円かかっても立派なものを造る。それだけのプライドが日本にあっていいと思う」(朝日新聞・同)

 ちょっとくらくらした。

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