「略奪美術品」に揺れるヨーロッパ …今なお残るヒトラーの影

FUTURUS

「略奪美術品」に揺れるヨーロッパ …今なお残るヒトラーの影

1908年、オーストリア・ウィーン。パリと並んで“芸術の都”と名高いこの都市は、17世紀以来の美術アカデミーを有している。

そのアカデミーに、憎しみの視線を向ける一人の青年。子どもの頃から画家志望だった彼は去年、今年とアカデミーの入学試験に失敗し、今ではポストカード製作のアルバイトでどうにか日銭を稼いでいる状態だ。

几帳面なほど写実的な絵を描くこの青年は、誰よりも自尊心の高い性格だ。それ故に挫折というものを許さない。だから彼は、自ら失敗をこう解釈した。

「今のヨーロッパ芸術は退廃している。今に見ていろ。そのうち自分がヨーロッパの美術界を支配してやる!」

飛躍も度が過ぎた発想だが、彼はウィーンでの挫折から30年後にこの妄想を実行することになる。

青年の名は、アドルフ・ヒトラー。ドイツの独裁者となったこの男の行為は、世界史を狂わせてしまった。その暗黒は、美術界にも大きな影響を与えた。


■ アパートから発見されたピカソ

2013年11月、ドイツから衝撃的なニュースが飛び込んだ。

場所はミュンヘン。脱税容疑で警察に家宅捜査されていたコルネリウス・グルリットという人物の自宅アパートから、かつてナチスが略奪した絵画千数百点が発見されたというのだ。百ではなく、千である。その中にはピカソやシャガール、マティスなどの作品もあった。これらはいずれも、ヒトラーのナチス・ドイツが占領した先の美術館や逮捕したユダヤ人から押収したものだ。

ナチスに奪われ、戦後も所在不明の美術品は多数ある。だがそれがミュンヘンのアパートの一室にあるとは、誰も想像していなかった。この話題はたちまちのうちにスキャンダルとなり、ドイツ政府は対応に追われた。

グルリット氏は80代の老人である。アパートに住んでいるくらいだから、決して裕福ではない。なぜそのような人物が、略奪美術品を所有していたのか?

グルリット氏の父親は、ナチスとつながりのある美術商だった。当時ナチスはその芸術感に則り、略奪した美術品を“健康的”、“退廃的”という風に仕分けていた。“健康的”なそれはナチスの主催する展覧会に出展されるが、“退廃的”なものは退廃芸術展にて侮辱的に晒されるかヒトラーユーゲントの団員の手で燃やされるか、あるいは外貨獲得のための商品になるかであった。グルリット氏の父親は略奪絵画の売買を仲介し、またナチス幹部とも懇意の仲だった。空軍大臣ヘルマン・ゲーリングも、顧客の一人だったという。

つまりグルリット氏は、父親の抱えていた“在庫”を遺産として相続していたわけだ。だが問題は、例のアパートを捜索した時にはグルリット氏も高齢だったということである。

そして翌年の5月、グルリット氏はこの世を去った。その直前に彼は遺言を残している。「私の遺産は、すべてスイスのベルン美術館に寄贈する」と。


■ 絵画の寄贈先

グルリット氏がドイツ国内の美術館を寄贈先に指定しなかったのは、家宅捜索した当局への恨みと言われている。だがいずれにせよ、この遺言で問題が国際的なものになってしまったのは事実だ。

美術史に輝く貴重な作品がタダで手に入ったのだから、ベルン美術館としては万々歳……とは当然ならない。グルリット氏の絵画を下手に受け入れると、その作品の所有者だった人物の遺族が美術館を提訴する。一件二件ならまだしも、いかんせん問題の絵画点数は千を超える数だ。その裁判費用は天文学的なものになるに違いない。

また、ナチスの略奪被害を受けた国の政府も黙っていないだろう。スイスは戦時中、国民皆兵制度によりヒトラーの侵攻計画を銃弾一発撃つ前に頓挫させた国だが、対応を一つ間違えればスイスも「枢軸国」と見なされてしまう可能性がある。それだけは避けねばならない。

だからベルン美術館は、グルリット氏の絵画の受け入れには同意したものの、元の所有者が判明した作品は受け取らなかった。こうした経緯を文章で書くのは非常に簡単だが、当事者の決断は我々一般人の想像では計れないほどの苦労だったはずだ。現にベルン美術館理事会のクリストフ・ショイブリン会長は、

「私の職業人生の中で最も困難な決断だった」

というコメントを残している。


■ ヨーロッパ美術受難の時代

このようにヨーロッパの美術作品は、アドルフ・ヒトラーという憎悪の塊のような男にその身を奪われるという時代があった。

歴史的に重要な作品も、その例外ではない。たとえば11世紀のノルマン・コンクエストを描いた壮大な刺繍画『バイユーのタペストリー』は、フランスを占領したドイツがバイユーから持ち去ってしまった。ノルマン・コンクエストとは、ノルマンディー公ウィリアム1世によるグレートブリテン島征服を指す。昔の英雄の業績をたどることに熱心だったヒトラーは、親衛隊に命じてバイユーのタペストリーをパリへ輸送した。いずれはベルリンへ、という腹積りだったのだろう。

現にヒトラーは、1944年に連合国軍がパリへ足を踏み入れた時もタペストリーに執着した。「至急、タペストリーをドイツに送れ」と命令している。それが実行されなかったのは、すでに連合国軍がルーブル美術館の周辺に達していたからだ。そうでなければタペストリーはベルリンに輸送され、結局は翌年4月のソ連軍総攻撃のドサクサで消失していただろう。そうならなかったのは、奇跡と言う他ない。

指名手配されているナチス関係者の追跡は、今や当人の高齢化によりその追跡活動は年々縮小しているという。だが略奪美術品はそうではない。むしろ指名手配犯追跡に費やされていた労力が、いよいよこちらに向いてきたという感さえある。

失われた美術品は、実は我々の身近にあるのかもしれない。

【参考・画像】

※ ナチス略奪絵画1500点発見、独アパートに隠され半世紀(AFP)

※ ナチスの略奪絵画 旧所有者への返還に道 独政府協力、スイス美術館受け入れ(Sankei Biz)

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