70年前のハイブリッドカー!? 「変人博士」フェルディナント・ポルシェの足跡

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70年前のハイブリッドカー!? 「変人博士」フェルディナント・ポルシェの足跡

source:http://newsroom.porsche.com/

本日『ポルシェ 911カレラ』の販売予約が開始された。『911』といえば1963年以来、『ポルシェ』を代表する車であり続けたが、革新的なターボフラットエンジンを積み満を持して再登場。パフォーマンスそして快適さを兼ね備えるこの『ポルシェ 911カレラ』は、ドライバーの喜びをうんと刺激してくれることになりそうだ。


■ 「ポルシェ」の歴史をたどる

ここで『ポルシェ』の歴史について追ってみる。

『ポルシェ』という名前は、現代ではスポーツカーを指す単語のようになっている。だがポルシェ社の創業者フェルディナント・ポルシェは、言わば“何でも屋”だった。発電機材の開発にも積極的だったし、自動車の分野でもフェルディナントは高級車専門というわけではなかった。あのフォルクスワーゲン・ビートルを開発したのは彼だ。

科学者としては、比較的幅広い才能を有し、先見性にも富んでいたこの人物。何と、戦時中には“ハイブリッドシステム”を開発していたのだ。

だが、それが故にフェルディナントは自らの経歴にトンデモ要素を加えてしまった。弘法も筆の誤り、猿も木から落ちるというが、フェルディナントの場合は来るべき未来を、盲信しすぎたがための失敗であった。

しかもそれは、あのアドルフ・ヒトラーとの“共同作業”でもあったのだ。


■ ポルシェとヒトラー

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ヨーロッパを地獄の底に陥れたアドルフ・ヒトラーは、ドイツの自動車産業の発展に力を入れていたことでも有名だ。

高速道路を整備し、手頃な価格の大衆車を作らせたのはこの男である。

ナチスの第一の公約は“ドイツ経済の復活”だった。ヒトラーが政権を運営していた時代、ドイツの実体経済が飛躍的に向上したのは疑いようのない事実である。数々の大型公共事業を打ち出して雇用を生み出し、農村部の青少年には定期的な旅行に参加させる。

歩道の片隅で絶望していた失業者、先祖代々自分の村を離れたことがなかった農民はこぞってナチスを支持した。

フェルディナント・ポルシェは、その頃からヒトラーの“お気に入り”であった。先述の通り、フォルクスワーゲン・ビートルという大衆車の設計図を引いて、大成功を収めたからだ。ナチスの選挙公約を叶えるための重要なポジションに、フェルディナントはいた。だから第二次世界大戦が始まって以降も、ナチスはフェルディナントを兵器開発者として大きな権限を持たせていた。

フェルディナント自身は、政治に無関心の男だった。自分の仕事ができれば、それに越したことはない。ヒトラーのことも「Mein Führer(総統閣下)」と呼ばずに、「Herr Hitler(ヒトラー氏)」と呼んでいたらしい。

すなわちフェルディナントにとって、ヒトラーは自分に仕事をくれる“いい上司”に過ぎなかったのだ。だからこそ、戦争協力にはむしろ積極的だった。


■ 電動戦車現る

そんなフェルディナント・ポルシェが戦時中に手がけた一番有名な“作品”は、やはりVI号戦車だろう。

第二次大戦は、戦車の進化の歴史でもある。

1939年のポーランド侵攻の際のドイツ軍装甲師団は、小型のI号戦車とII号戦車を主力にしていた。だがこの2種は火力、装甲共に貧弱で、実戦では様々な問題が発生した。翌年6月のフランス侵攻戦ではIII号戦車、IV号戦車の数がようやく出揃うも、こちらもまだ火力の面で充分ではなかった。

ヒトラーは兵器局に、重戦車開発を厳命する。対戦車攻撃に優れた88ミリ砲を搭載し、最大100ミリの装甲板を持つ当時としては規格外の重戦車を。

フェルディナントはそれに対し、最先端の動力技術を惜しみなく搭載するという答えを出した。何と彼の設計した戦車は、“電動”だったのだ。

ラジコンカーを想像してほしい。電動モーターを使った車は、非常に構造が単純だ。何しろトランスミッションが省ける。電圧の調整だけで速度を変化させることができるのだから、操縦手にとってはこの上なくありがたい戦車だ。いや、そうなるはずだった。

だが、ポルシェ社製の戦車と現代の“ハイブリッドカー”が違うのは、性能のいいバッテリーがあるかないかだった。第二次大戦当時の使用に耐えられるバッテリーといえば、潜水艦に搭載されるものだ。

しかし、それを戦車が積むにはあまりに巨大過ぎる。「バッテリーがない」というのはあまりにも大きなハンデで、結局この戦車はガソリンエンジンで発電機を動かし、そこからの電力でモーターを回すというややこしい構造になってしまった。

これならば、従来通りのトランスミッションのあるガソリンエンジン駆動車の方が簡単である。そしてVI号戦車計画は、ポルシェ社とヘンシェル社のコンペという形で進められていた。正式採用はヘンシェル社にかっさらわれてしまった。

ヘンシェル社VI号戦車は、採用直後に『ティーガー』と名付けられた。そして連合国軍の車両を次々とスクラップにした恐怖の重戦車として、歴史にその名を刻むことになる。

実を言うと、フィルディナントのもとに不採用通知が届いた時点で、ポルシェ社は戦車のシャーシを90両分も生産していたのだ。この辺りは兵器局の許可を飛び越えて、ヒトラーから直々にお墨付きをもらった結果らしい。

ヒトラーはIII号戦車に搭載する主砲の件で、兵器局とモメていたことがある。そういう事情もあり、ポルシェ社は採用決定の前に、シャーシを量産する権限を与えられていた。

この90両はまた別の駆逐戦車に改造され、開発者と同じ『フェルディナント』という名前を授かることになった。


■ 重過ぎた重戦車

source:https://pixta.jp/

変人博士フェルディナント・ポルシェの“活躍”は、これに留まらない。

戦時中、ヒトラーの誇大妄想は戦車設計にも影響を与えた。世界最大最強の戦車を作れば、ソ連など簡単に捻り潰せる。実際の戦争というのは1両の超大型戦車ではなく50両の中型戦車がモノを言うのだが、この男にそんな現実は見えていなかった。

「100トン級の戦車を作れ!」

無茶も甚だしいこの要求に、フェルディナント・ポルシェは真っ先に手を挙げた。

早い話が、ヒトラーの誇大妄想とフェルディナントの無限の創作意欲は相性が良かったのだ。日を追うごとに「100トン級戦車もまだ小さい」と言い出して聞かなくなった独裁者の指示にも、フェルディナントは一切文句を言わなかった。

そうして完成したのが超重戦車『マウス』である。128ミリ砲と75ミリ砲を同軸に備えたこの化け物の重量は、何と188トンに上った。現代の自衛隊が装備する10式戦車ですら、全備重量は44トンである。

しかも、そのような戦車にすらも、フェルディナントはハイブリット式駆動装置をちゃんと装備させた。

だが、案の定、188トンという重量は足回りに大きな負担をもたらした。そもそも整地でも時速20キロを出すのがやっとという代物だ。大体、こんなに重くては橋を渡ることができない。だから潜水機能を施されたのだが、それも単独では不可能だ。陸上に同じ型のマウスか発電機を用意して、水中の車両に電気を送らなければならない。要するに、実戦では使い物にならない戦車だったのだ。

もっとも、フェルディナントのアイディア自体は現代になって花開いている。昨今次々と市場に投入されているハイブリッドカーは、彼の考えたコンセプトの正しさを証明している。

数十年の時を経て、変人博士フェルディナント・ポルシェは、大きな道筋を与えてくれたのだ。

【参考・画像】

※ The new Porsche 911 Carrera – Porsche newsroom

※ Everett Historical / Shutterstock

※ photo-uny / PIXTA

【動画】

※ The new 911 Carrera – Ever ahead – YouTube

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