国民的番組『笑点』 50年の大暗闘を暴露!! (2/3ページ)

日刊大衆


「談志は『笑点』の成功は自分の力だと過信していたんですね。ところが、メンバーが変わるとガクンと視聴率が落ちた。笑点人気は、談志の企画力よりキャラクター人気だったことが証明されてしまった形です。詰め腹を切らされる形で、談志は『笑点』を降板します」

69年11月9日に談志からのバトンタッチを受けて、前田武彦が2代目司会者に就任する。歌丸、小円遊が復帰、林家木久蔵(現在は林家木久翁)がメンバーに新加入したものの、
「歌丸さんは著書『極上歌丸ばなし』の中で"前武さんじゃ、落語家のシャレが通じないんですよ。とにかくやりにくくってしょうがない……局側も気がついたんでしょうね"と書いてしまうくらいギクシャクした番組進行だったようです」(前出のテレビ誌記者)。

1970年12月20日より、3代目司会者として三波伸介が登場することに。
「在任中には40.5%(※ニールセン調べ)という歴代最高視聴率を叩き出すなど、大喜利メンバーとの息もピッタリだったんですが……」(前同)

三波は82年12月に急逝。
83年1月からは円楽が4代目の司会者を務め、現在に至る『笑点』の形は、このときに誕生したという。
「円楽は、"談志が『笑点』でアピールしていたのは化学薬品だった。これは即効性はあるけど長続きしない。私は『笑点』を漢方薬のような番組にしたい"というようなことを宣言し
ました」(前出の唐沢氏)

また、『笑点』の前身番組『金曜夜席』では、司会を務めていた円楽が、仕切りのまずさから談志に取って代わられたという過去もある。
「この宣言は水面下での談志、円楽の暗闘が表面化した瞬間でした。衝撃でしたね」(週刊誌記者)

また、次のような声も聞かれる。
「決して仲は悪くはなかった2人ですが、『笑点』に関しては、お互い、譲れないものがあったのかもしれません」(演芸関係者)
抜群の知名度の笑点メンバー

以後、2006年の「正式引退」に至るまで円楽の23年続く長期政権が誕生。
この間、メンバーの入れ替えはほとんどなく、同じメンバーが何十年とレギュラーであり続けてきた。
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