【意外な事実】「種の起源」のダーウィンは生物学者じゃなかった! じゃあ何者だったの? (2/2ページ)
■140年間も認められなかった「種の起源」
1831年に出航したビーグル号は南米大陸、オーストラリアなどを巡り、目的通り地質や動植物の調査をおこない、1835年にダーウィンの人生を変える地・ガラパゴス諸島に到着します。ここでは同じ種の動物でもからだの特徴が異なり、たとえばイグアナなら、
・リクイグアナ … サボテンを食べるため「あご」が発達
・ウミイグアナ … 岩場で滑らないように「爪」が発達
と、生活環境に適した姿になっていることに気づいたのです。これをきっかけにダーウィンは研究を続け、代表作である「種の起源」を完成させたのでした。
1859年に出版された「種の起源」をひとことで表すなら、環境に適応した個体だけが生き残る、つまり「自然に選択される」とした内容で、現在なら誰もが当たり前と思うことです。ところが当時は科学よりも宗教が優先され、
・種は神が作るもの
・人間の祖先が「サル」だなんて、とんでもない!
と大ブーイング。なにせ「宇宙の中心は地球だ!」と唱えられていた時代だけに、ダーウィンの学説は神を侮辱している! とまで発展した。この論争に一応の決着がついたのは1996年のことで、発表から140年近くも要しました。
さぞかしダーウィンも苦労したに違いないと思いきや、同じ1859年に地質学の権威に与えられるウォラストン・メダルを受賞、「本業」である地質学の研究もぬかりなく進めていました。医学、神学、地質学、生物学と聞くとなにがしたいの? 感は否めないが、幅広い知識があってこそ進化論が生まれたと考えるべきでしょう。
■まとめ
・進化論で知られるダーウィンは、もともと地質学者
・南半球調査途中で寄ったガラパゴス諸島で、変種を見つけたのがきっかけ
・1859年に「種の起源」を出版。宗教的観点から大ブーイングを受ける
・同年にはウォラストン・メダルも受賞。本業の地質学も研究を続けていた