鬼の平蔵は「FX」で捜査費用をまかなったって本当?
池波正太郎先生の小説で知られる長谷川平蔵(はせがわへいぞう)。「鬼の平蔵」のあだ名から豪傑のイメージが強いものの、知恵とアイデアで難局を乗り越えた頭脳派だったのはあまり知られていないようだ。
火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長官として極悪人を取り締まりながらも、世界初の更正施設である人足寄場(にんそくよせば)を創設、犯罪者を減らす画期的なシステムを確立する。いまでいうFXでもうけたお金で活動資金を補うなど、破天荒な行動が上司にうとまれ、出世できなかった悲運のひとだったのだ。
■更正施設で犯罪者を減らす
鬼平こと長谷川平蔵は1787年から8年間、火付盗賊改方(以下、火盗改)の長官を務めた実在の人物だ。当時は奉行所が警察と裁判所の役割を果たしていたが、放火や強盗などの凶悪犯罪の増加をきっかけに火盗改が新設された。武装した犯罪者を武力制圧する荒っぽい面もあったので、「おっかないひと」でないと長官は務まらない。
「鬼平」とあだ名された平蔵には天職とも呼べるポストだが、腕っぷしだけでなく、知恵と工夫で歴史に名を残す人物となったのだ。
江戸時代は軽い犯罪であれば「島流し」、つまり刑務所のようなシステムがすでにあり、刑期を終えれば社会復帰が許された。ところが手に職を持たない者も多く、街に戻っても仕事が見つかるはずもない。食うに困って再び犯罪に手を染めるものが多く、結果的には幕府の財政を圧迫する原因にもなっていた。そこで長谷川平蔵は、石川島に人足寄場と呼ばれる更正施設をつくり、受刑者の職業訓練をおこなったのだ。
刑期中に職業訓練を受ければ、社会復帰もラクになり再犯率も低下する。現在は当たり前のようにおこなわれているが、当時はその発想すらなく、石川島の人足寄場が世界初と考えられている。犯罪者から「鬼」と恐れられながらも、社会復帰のメンドウまでみる仏のような人物だったのだ。
■認められなかった功績
長谷川平蔵の評判は二極化し、市民や町方からはヒーロー扱いされるものの、上層部からはいやしい人物のレッテルを貼られていた。無頼な青春時代が原因の一つだが、いまでいうFXで活動資金を生み出したことが、お偉いさんたちに悪印象を与えてしまったのだ。
当時の幕府は慢性的な財政難で、火盗改にも充分な予算が与えられなかった。長谷川平蔵は400石の旗本で、決して裕福とは呼ばない収入だったが、私財を処分してまで捜査費用に充てていたというから、その金欠ぶりがうかがえる。創設された人足寄場も、初年度は500両、2年目以降は300両と、運営があやぶまれるほどの低予算だった。そこで幕府から出してもらった3,000両を元手に銭(ぜに)相場で儲けるという、とんでもない作戦にうってでたのだ。
銭相場はいまのFXのようなもので、ある意味でバクチの要素がある。ところが若い頃に悪所通いしていた平蔵だけに、読みが当たって大もうけ! 利益はおよそ170両と、人足寄場の半年以上の運営費をつくり出した。ところが、このできごとが平蔵の評判を下げる原因となる。「いかがわしい方法」でカネもうけしたヤツ=「悪者」のレッテルを貼られてしまったのだ。
仕事の費用を稼ぎ出したのだからほめて欲しいところだが、同様にして巨額を手に入れた商人も多かったため、ねたみも加わって「相場でもうけるなんて、もってのほか!」と非難ごうごう…。もともと上層部の受けが良くなかったこともあり、「よろしくないヤツ」呼ばわりされるようになってしまったのだ。
数々の功績をあげ、奉行所の町方からも「ぜひ町奉行になって欲しい」と熱望されていたにも関わらず、昇進を果たせぬまま生涯を閉じる。人足寄場の責任者を解任されたときも、退職金は大判・金5枚だけだったとされ、さぞかし無念だったに違いない。実力があるひとが上司者からうとまれるのは、今も昔も変わらないようだ。
■まとめ
・鬼平で知られる長谷川平蔵は、世界初の更正施設・人足寄場をつくった人物
・相場でもうけ、予算不足を乗り切った
・部下や町人からは絶大な人気を得たが、上司受けが悪く出世できなかった…