浅田真央が国際大会復帰戦で優勝!フリーの『蝶々夫人』ってどんな曲?
出典:The Japan Times 昨シーズンの休養から今シーズン競技に復帰した浅田真央選手が、北京で開かれているグランプリシリーズ第3戦の中国大会に出場しました。 フリーではジャンプのミスや演技開始の時間が遅れる減点で125.75点と3位となってしまいましたが、首位だったショートプログラムの貯金と演技力で逃げ切りに成功し、計197.48点で見事優勝! 浅田選手のグランプリシリーズでの優勝は、2年前のNHK杯以来11回目で、グランプリファイナルを含めると15回目となります。
フリーで使われている『蝶々夫人』ってどんな曲?
浅田真央選手の復帰後初シーズンのプログラムの中で、目玉となっているのがフリーの『蝶々夫人』です。
『蝶々夫人』はプッチーニによって作曲された2幕もののオペラです。みなさんも名前くらいは聞いたこともあるのでは…?
では、オペラ『蝶々夫人』とは、一体どんなお話なのかご紹介します!
日本を舞台にした恋愛悲劇『蝶々夫人』

出典: Wikipedia
『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』とは、プッチーニによって作曲された、いわゆる“ご当地三部作”(あとの2作は『西部の娘』、『トゥーランドット』)の最初の作品です。
長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描いています。
物語は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの弁護士ジョン・ルーサー・ロングが1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説『Madame Butterfly』を原作にアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが制作した戯曲を歌劇台本化したものとなっています。
その物語はあまりにも切なすぎるものとなっています。
時は1890年代…。
舞台は長崎の港を見下ろす丘に立つ家。
アメリカ海軍士官のピンカートンは、結婚仲介人ゴローの斡旋によって、日本の生活を楽しむために現地妻として蝶々さんと結婚します。蝶々さんは武士の家に生まれましたが、父が切腹するなど没落して芸者となっていました。このとき15歳です。
結婚から3年が過ぎた頃。ピンカートンはすでに日本での任務を終え、アメリカに帰ってしまっていました。彼は蝶々さんに「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していましたが、帰ってくる様子もなく、周りの人たちはすでに約束を反故にされたのではと蝶々さんに訴えかけます。しかし、ピンカートンを深く愛する蝶々さんは、彼を堅く信じ待ち続けていました。
蝶々さんのモデルは誰…?

出典: Wikipedia
日本では長らく「『蝶々夫人』のモデルは誰か?」ということが議論されてます。
有力視されているのは、幕末に活躍したイギリス商人、トーマス・ブレーク・グラバーの妻であるツルです。これは彼女が長崎の武士の出身であることや、“蝶”の紋付を好んで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来します。また、長崎の有名な観光地ともなっている旧グラバー邸が、長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、物語の設定と一致しているのです。
一方、ロングの小説『マダム・バタフライ』に登場する家がグラバー邸内と酷似していること、ロングがのちに書いた戯曲『マダム・バタフライ その20年後』の原稿に「Dam. Too-ri」とメモがあり、ツルと読めることから、ロングはツルを下敷きにしていたと思われますが、内容自体はツルの経歴とは異なり、創作であるとされている説もあります。
『蝶々夫人』の内容を知って浅田真央選手の演技を見れば、よりその世界観を楽しめそうですね。
次のグランプリシリーズは、11月27日からのNHK杯に出場する予定です。
まだまだ浅田選手が活躍してくれることを祈って応援しましょう!
すると、その願いが叶ったのか…。
蝶々さんは長崎の港にピンカートンの所属する軍艦が入港したのを確認し、喜んで彼の帰りを待つのでした。しかし、一晩中寝ずに待っていましたが、彼は帰って来ません。
翌朝、ピンカートンとの間にできた子どもと寝間で休んでいると、ピンカートンはアメリカで作った妻・ケートとともに現れたのです。
蝶々さんがいない間に、女中がピンカートンに対して彼女の思いを語ると、彼は罪悪感によって深く打ちひしがれ、耐えられずそこから立ち去りました。
その直後に蝶々さんが起きてきて、アメリカ人女性の姿を見ると、彼女はすべてを悟ります。子どもを預かるというケートの申し出を断り、「彼が迎えに来るなら渡す」と言いました。
そして、彼女は仏壇の前に座り、父の遺品の刀を取り出し、子どもに目隠しをして刀を自らの喉に突き立てます。ピンカートンが駆けつけたときには、すでに彼女は自害した後でした。