なんの特権!? 江戸時代のお巡りさんは「女湯」に入っていたってほんと? (2/2ページ)

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取り締まりが厳しくなると、一日おきに男湯/女湯を切り替えて営業する、申し訳程度の「仕切り」で風呂場を分けるなどやる気なしモードで対応しますが、監視がゆるめばもと通り……そんな「いたちごっこ」は明治時代まで続き、完全禁止となったのは1900年の話。現在の男女別のほうが圧倒的に「歴史が浅い」スタイルなのです。

■お巡りさんは「女湯」でもOK?

江戸時代の銭湯には、お巡りさんは女湯を貸し切りできる「特別ルール」が存在しました。刀とは無縁の女湯に「刀掛け」まで用意されていたのです。

当時のお巡りさんである同心(どうしん)は、現在の東京都中央区に「社宅」があったため、地名をとって「八丁堀」とも呼ばれていました。激務の同心には「朝風呂」になってしまうものが多く、また火事を恐れる傾向が強かったため、銭湯を利用するのが一般的でしたが、男湯は粋(いき)とばかりに朝湯を楽しむ町人で大混雑。そのため銭湯は、朝の女湯を「同心専用」にしていたのです。

女湯を利用したのは「情報収集」のためとも言われ、男湯での会話に良からぬ打ち合わせをしていないか、聞き耳を立てていたなんて話もあります。もし犯罪者が女性だったらどうする? と突っ込みを入れたくなりますが、むしろ、お風呂のときぐらい仕事を忘れてリラックスして頂きたいものです。

■まとめ

 ・江戸時代の銭湯は、男女混浴が当たり前だった

 ・混浴のほうが低コストで運営できる「おとなの事情」が大きな理由

 ・たびたび禁止令が出されるが効果なし、禁止が徹底されたのは明治33年になってから

 ・朝は女湯を「同心専用」にしていた

(関口 寿/ガリレオワークス)

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