ミスター・ダービー“橋口弘次郎”調教師が引退直前激白!(1)ダービー挑戦はライフワーク (2/2ページ)

アサ芸プラス

『次からは出走権利さえ取れば、馬主さんを説得してダービーに出すぞ!』と決めました」

 ダービー初挑戦は開業8年目、90年のツルマルミマタオーだった。馬主は同郷の鶴田任男氏(故人)で、馬名の「三股(ミマタ)」は宮崎県にある2人の出身地だ。アイネスフウジンが中野栄治を背に華麗な逃げ切りを決め、あの有名な「ナカノコール」が起きた年でもあった。

「入場者数は19万人を超えて、私の田舎の(宮崎県の)都城盆地に住む、赤ちゃんからお年寄りまで、全ての人が集まったようなもの。そこに(競走馬の生産を兼ねた農家を営んでいた)私の父親を鶴田さんが連れて来てくれてね、少しは親孝行できたかなと。できれば(父親が亡くなる前に)勝つところを見せられたらよかったんだけど」

 出走22頭中10番人気のツルマルミマタオーと田島信行のコンビは、後方から35秒4という最速の上がりを繰り出し、3着のホワイトストーンにクビ差4着にまで迫った。

 翌年はツルマルモチオー(馬名の母智丘(モチオ)は宮崎県都城市の桜の名所)で再挑戦。

「(オーナーの)鶴田さんに『距離はちょっと長いかもしれないけど、いくぞ!』と言ったのがモチオーでした。3月に中山の(芝)1200メートルの菜の花Sを勝ったんですよ。(賞金はクリアしたものの)その短距離馬をダービーに使うんだからね。もちろん、どこかいいところないかなと探して、母の父がシーホーク(春の天皇賞馬やダービー馬を輩出)だった。でも、今だったら怒られるかな。他の馬主さんだったら、そんな無謀な!と(爆笑)」

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