今では当たり前となった火葬が、その昔タブーとされていた意外な理由とは? (2/2ページ)

心に残る家族葬



なおその少し後の頃の大坂でも、梅田にあった火葬場が、「穢れた煙」が自分たちの家や店にかかることを忌み嫌う近隣住民の訴えにより、郊外に移されたという。

村落部でも似たような例が報告されている。例えば現在の大阪府豊中市では、18世紀前半に村内で伝染病が流行した際、その原因は村の神社に火葬場の煙がかかったことによる祟りとみなされた。そしてその火葬場は移転させられている。

■最後に…

また、これは火葬場から発生する煙や臭気を直接タブー視した話ではないが、北関東や南東北の幾つかの地域では「コノシロ」という魚を食べることがタブーとされた。

理由は、この魚は焼くと亡くなった人を火葬する際のような臭いがすると考えられたからである。
ちなみに元禄時代に活躍した俳人 松尾芭蕉の「奥の細道」でも、そのことに言及したくだりがある。

このように、様々な場面で「火葬と悪臭・穢れ」問題が取り沙汰されるようになったことも、江戸時代に火葬がタブー化したことと無関係ではないだろう。

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