四十路妻、遂にご懐妊…!? 高齢初産に挑む妻が流した涙の意味とは<連載第6回> (2/3ページ)
■決戦は元日
「一年の計は元旦にあり」というが、この良き日に授かれたらこんなに幸せなことはない。しかし、もし流産に終わっていたら、そんなに残酷なことはない。前日の大晦日、「絶対に笑ってはいけない」と言われても笑えない状況のなか、期待が二割、不安が八割という感情を抱えながら二八蕎麦をすすった。
明けて午前中。未だ大晦日カウントダウンの喧騒と、元日の厳かな空気が入り混じった街を抜け、僕らはクリニックへ向かった。妻は先生との問診に行ってしまったため、僕はソファでひとり待つ。30分ほど待っただろうか、妻が待ち合いフロアに戻ってきた。
その合否を表情から読み解こうと、妻を凝視する。何と穏やかな顔だろうか。まるでマリア様だ。
「心拍確認できたって」
妻はマリア様同様、まさに性交することなく妊娠に至ったのだった。遂に、わが子を授かったのだ!
■遂に妊娠!しかし妻が流した、「不安の涙」
妊活という物語を紡ぐ者にとって、「ご懐妊」という場面が出たら、もうすぐエンドロールが流れると思いがちだ。しかし現実は違うということを、直後、知ることとなる。
クリニックを出た僕らは、そこから30分ほど乗り継いだところにある、僕の実家に行こうとなった。もちろん、最高の報告をするためだ。その車中、僕と妻はあまり会話をしなかった。いや、できなかった。妊娠は、エンドロールなんかじゃない。
これから始まる十月十日の妊婦生活、そこに向かってのスタート地点にすぎないのだ。妻は四十で授かった。それは奇跡であり、裏を返せば、“高齢初産の流産”の可能性も高いという。無事、出産できるのか?
車中で、そのことにふたり、気づいてしまったのだ。
「ねえ、リアリティある?」
僕は尋ねた。
「そんなもん、あるわけないじゃない! アタシ、不安で不安で仕方ないわよ」
妻は涙をひとすじ流し、そう強く言った。
大きな幸せを手にした瞬間、人は次なる不安に襲われる。人生はその繰り返しだということを、僕らは初めて痛感した。
3年間という不妊治療に耐え、四十で懐妊。