”大塚家具騒動”で考える老いと引き際の社会学|やまもといちろうコラム (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

■人生のギアチェンジをどうするべきなのか

 弊社や投資先でも、中高年の従業員を雇っておりますけれども、無理が利かない年齢だけどゲームは作りたい、良い作品を手がけたいという気持ちに身体がついていかず、突然入院したり、大変な重病を患ったりというケースが後を絶ちません。やりたいことと、できることの落差を年齢が広げていってしまう事例は、不幸ばかりを生むので、本人には失礼を承知で「おじいちゃん、もう頑張らなくてもいいんだよ」的な声をかけると、やはり皆さん反発をされます。

 老いを自覚すること、その中で、最適なパフォーマンスを出せる働き方をすることの大切さは、生きていく中で本来は自然に学べるものだと思っていましたが、どうも世の中そうではないようです。

 先日も、取引先を定年退職された方を嘱託でお引き受けして、引退するというのでお辞めになられた方がいらっしゃったのですが、偶然なのか分かりませんけど、辞めた翌月に夫婦でより狭いところに引越しをされる作業中に倒れられ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。そんなことなら、慰留のひとつもして、職場みんなで引越し手伝っていれば良かったのにと駆けつけた元同僚の面々と話し合ったりもしていたのですが、この辺の、仕事の張り合いと引き際の兼ね合いというのは、一筋縄ではいかないのかなと思うわけです。

 葬儀で泣き腫らした奥様の心境も慮りつつも、実は、歳を重ねるごとに、相応しい生き方を見つける時間が必要なのではないか、若い人以上に、人生のギアチェンジをどうするべきなのか考えるゆとりが求められているのではないか、と最近強く感じることがあります。それは、ウェブ方面やプログラマーとして徹夜を厭わずバリバリと働いてきた人たちほど、その仕事に打ち込めなくなってきたときの対処策の不備であったりとか、業界や事件への新しいことへの対策や新しい勉強の遅れが焦りを生んだりとか、さまざまなストレスに直面するのは、むしろ知的労働者の側なんじゃないかとさえ思うのです。

 自分は一線で頑張れていると思うからこそ、その自負が仕事のクオリティを高める傍ら、それが身体に対する負担となっているのかもしれません。気づいたときには取り返しのつかないような病気や障害を生んでしまうことは、本人も周囲も気を使いながらそうならないようにケアする以外ないわけです。

 ある程度壮年になってからみんなで健康診断をやると、どうしても「不健康自慢」みたいな話になりやすいのも事実です。「わー、俺ついに尿酸9.0超えたよー」みたいな。子供のころ、視力の悪い子が、そうでもない子の眼鏡をかけて「こんなのガラス球だよ」的な煽りをして良いのは30代までなのかなあと、最近いろんな人を見送る中でぼんやりと思う日々であります。

著者プロフィール

やまもといちろうのジャーナル放談

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト/やまもといちろうBLOG(ブログ)

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