小遊三・たい平らが明かす「笑点」50年!ここだけの噺!(1)歌丸師匠の出演は必死の覚悟だった (2/2ページ)

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僕も学生の頃はよく観ていて、出演者が若いもんだから親しみを感じていましたね」(前出・小遊三)

 その故・談志に、人気者の故・五代目三遊亭圓楽、まだ二つ目だった桂歌丸、林家こん平(73)、故・柳亭小痴楽(のちの春風亭梅橋)、故・三遊亭小圓遊が加わり、番組はスタート。しかし、視聴者をなかなか獲得できなかったのだ。その原因について、歌丸師匠は自著「座布団一枚!」(2010年・小学館)で次のように分析している。

〈始まった当初の『笑点』は、もちろん談志さんが前面に出ていました。談志さんはブラックユーモアを大変好む人でしょう。(中略)今ならともかく40年以上前でしょう。ブラックユーモアがきつすぎたんだと思います〉

 番組が“ハネた”のは1970年代に入ってからのこと。70年に三代目司会者としててんぷくトリオの故・三波伸介を迎え、一気に人気番組の座へと駆け上がる。74年には、歴代の最高視聴率40.5%を記録。三波は「笑点」の“象徴”となった。

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