「E電」看板、今も残る東京駅...命名約30年、JR東日本に「現状」聞いてみた (2/2ページ)

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発足当時の副社長で、後に会長も歴任した山之内秀一郎氏は、回顧録『新幹線がなかったら』(東京新聞出版局、1998年)で、命名理由には「お堅いイメージの強かった国鉄からの脱皮の意志」もあったと振り返っている。

「しかし、結果は大失敗だった。日本語を乱すものとして強い批判を浴びたこともあるが、世の中の方々が全く使ってくださらなかった。結果としては『JR』が定着してしまった。お客様にとっては国電と中電の区別などどうでもよい。ほとんど全部の列車が電車になってしまった現在ではもう『電車』の文字は不要なのだった」山梨県では多用されている様子

JR発足以前の国鉄時代は、近距離を走る電車「国電」(ゲタ電とも呼んだ)と、中距離を走る電車「中電」を呼び分けていた。このうち「国電」が「E電」に改称したのだが、80年代末期には、都心へ行くのも郊外へ行くのも「電車」になっていたため、乗客が利用する上で「E電」や「中電」の呼び名は関係なかったのだ。

なお、中距離電車が走っているエリアでは、いまも「E電」が使われている。とくに山梨県内では定着しているようで、県公式サイトにも「通勤通学用快速列車(所謂E電)の甲府までの延伸」といった記述(15年6月更新分)がある。

山梨県サイトにも「E電」の文字が(下線は編集部)
山梨県サイトにも「E電」の文字が(下線は編集部)
JR東日本に聞いてみると...

ここで改めて、JR東日本が「E電」をどのように位置づけているのか、広報に直接聞いてみることにした。

「ご承知の通り、当社発足の際、公募により愛称として決定させて頂きました。その後とくにあえて使わなくするということもなく、場合に応じて使っております」

時刻表の「ピンクのページ」と呼ばれる運賃案内ページにも、「電車特定区間(E電)」の表記はあるといい、

「おっしゃられていたような、『まだ今も(E電という呼称を)使うんだ』という感覚では、我々はとらえていないですね」

とのことだった。大変失礼なことを聞いてしまった。

JR時刻表の「E電」表記(2016年6月号より)
JR時刻表の「E電」表記(2016年6月号より)

まもなく命名30周年を迎える「E電」。表だって目にする機会は減ったものの、これからも首都圏の足として、その名を残し続けるだろう。

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