【ツレが産後ウツになりまして】第2回:地獄!義父母との1か月間共同生活<後編> (2/3ページ)
■さらに深まる義父母との溝
原稿のある日は「集中したいから」と、義両親のために借りた近所のウイークリーマンションに隠れ、仕事がオフの日は息苦しい雰囲気に耐え兼ね「打ち合わせと取材に行ってくる」とウソを言い、日がな虚しく自転車で街を徘徊した。
つまり日中はまったく家に寄り付かず、義両親がウイークリーマンションに帰るころを見計らって帰宅する毎日が続いた。
義理の息子からこんな態度を取られたら、向こうだって態度を堅くさせるのは当然である。
こうして両者の溝は、どんどんと深まっていった。
さて夜8時に自宅に戻り、やっと得た妻と赤ちゃんとの親子水入らずの時間が心を安堵させたかというと、そうではなかった。家に帰ると、今度は妻から冷たい言葉を浴びた。
「いつまで甘えているんだ」
「いつ変わるんだ。私は結婚して10年、何も言わず我慢してきた」
今まで見たことのない、妻のどぎつい顔。怖かった。
ライターという仕事に就いて以来、20年間続けてきた昼夜逆転の生活。子どもが生まれ、このままでいいなんて僕も思っていない。ただ、みんなからワアワア言われて意固地になっていたのだ。
実はこの日も、わざと10時半まで寝ていた。ケンカを売っていたのは、完全に俺だ。
……とここまで書いて、本当に恥ずかしくなってきた。当時の俺は、こんなにもガキだったのかと。
■初めて知った、妻の苦悩
日中、オトンとオカンは僕への不満や嫌味を妻に吐き出していたに違いない。そして妻は僕を想い、必死に反論してくれていたのだろう。
41歳での初産、ただでさえ育児に疲れ切っているのに、余計な心配と火種を僕が量産していたのだ。
これを、変われるチャンスととらえろ。変わるなら、今が最後のチャンスだ。
翌日から生活態度を改め、馬鹿な振りしてオトンオカンにどんどんとコミュニーションを取るようになった。
巨人ファンであるオトンのため、神宮球場のナイターに誘い、ふたりで出かけたこともあった。
俺は子どものお兄ちゃんから、父親になるんだ。