反日・抗日の原点?中国・遺骨博物館で感じた中国共産党の思惑 (2/2ページ)
それによると、日本の軍隊に打撃を加えていた民衆抗日自衛隊がこの村を経由していたのを理由に1932年9月16日「日本侵略者」が約三千人を山のふもとに追い詰めて虐殺、ガソリンで屍体を焚き、砲で山を崩して証拠隠滅を図った、と書いてあった。つまり、平頂山村は日本の軍勢の手によって村ごと壊滅したということなのだ。歩いてきた公園の不自然な広さ、遺骨館という物々しいネーミング、集落の模型と花輪という組み合わせ。これらはすべて、日本の軍勢による虐殺に端を発している、ということなのだ。
一方、パンフレットには次のようにも書いてあり、首をかしげた。
「前事不忘後事之師。平頂山惨案の跡地はもう人民に階級教育、民族教育、伝統教育と愛国主義教育をする重要な場所になった」
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かつて毛沢東は「日本の侵略に感謝する」と外交の場で繰り返し、述べていた。
「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。日本の皇軍なしには、私たちが権力を奪取することは不可能だった」と、いう風に。
中国共産党は抗日戦の中で大きくなり、ついには政権を奪取した。だからこそ、共産党の正当性を主張するために、反日・抗日が延々と利用され続ける、というわけだ。その目的のため、遺骨は今後もずっと、見世物として利用され続けるに違いない。
Written & Photo by 西牟田靖