【プロ野球】何度も這い上がる!ヤクルト由規”復活伝説”高校編 (2/2ページ)

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■まさかの大敗で学んだエースの責任

 背番号「1」をつけるようになった2年春。2006年の春季東北大会決勝戦に登板した由規は5回までになんと13失点。チームも4対24という信じられない大敗をしてしまう。

 監督からは「そんな軽い気持ちで1番背負ってるんじゃないんだよ」と怒鳴られた由規。一方、チームメイトからは「どんなに打たれてもいいから、お前の好きな球を投げろ」と励まされた。

 この苦い経験でエースの責任を学んだ由規。その成果が2カ月後、甲子園出場をかけた宮城大会決勝、ライバル・東北高との死闘で生きることになる。投手戦となったこの試合、由規は延長15回、226球を投げて0対0。勝敗の行方は、宮城大会としては初の決勝引き分け再試合に持ち込まれた。

 翌日、決勝再試合でも由規は完投し、6対2で勝利。2日間24イニングをひとりで投げぬき、甲子園の切符を獲得した。背番号「1」の責任感が、最後までマウンドに立つ原動力となったのだ。

■骨折をしてもマウンドへ

 どんな状況でもマウンドに立ち続ける。そんなエースの責任感が発揮された試合はほかにもある。2007年のセンバツだ。

 由規はこの大会の一週間前、練習試合でデッドボールが当たり、左手を骨折するという不運に見舞われる。だが、どんな状況でもマウンドに立ち、試合を作ってこそエース。痛みをこらえてマウンドに立ち、ストレートは最速150キロを記録。試合には1点差で敗れたものの14個の三振を奪い、評価をまた高めることとなった。そしてこの150キロこそ、夏の甲子園での「155キロ」の序章となったのだ。


 高校時代の熱投伝説から9年。26歳になった由規は、イースタンの試合で150キロを超える球を投げ込んでいるという。だからといって、160キロ再び……といった期待をするのは酷だ。

 「由規復活」。その言葉の意味は、球速ではなく、チームに勝利をもたらす、エースとしての姿のはず。甲子園を唸らせたあの日のように、再び野球ファンを唸らせてくれることを信じて、その復活の日を待ちたい。

文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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