田中角栄 日本が酔いしれた親分力(17)政策を形にした数々の協力 (2/2ページ)
これができるのも、田中がそれまでに築き上げてきた人脈があってこそのことである。小長は、田中の人脈の広さを思い知らされていた。
〈国土開発のあらゆる省庁に、田中さんの思想が浸透している。そして、田中シンパがいるんだな〉
その集まった最新の資料を整理し、小長はそれぞれの担当者に割り振っていった。そのメンバーの中には、作家であり経済評論家でもある堺屋太一──後に国務大臣、経済企画庁長官も務める池口小太郎の姿もあった。当時、大臣官房企画室企画主任だった池口には、日本経済の成長率関連の執筆が割り当てられた。
しかし、71年が終わると、田中の秘書の早坂茂三が、小長をせかした。
「オヤジは総裁選に立候補するかもしれない。この本を立候補宣言用の材料にする。出版は3月だ。急いでほしい」
小長らは土日も忘れて、突貫工事で執筆作業に没頭した。
72年(昭和47年)3月、小長たちは、次期首相を目指す田中の政策構想をまとめた原稿を入稿した。原稿は校正を経て、日刊工業新聞社から出版されることになった。書名は「日本列島改造論」。
日本全体の工業化を促進し、日本を均衡化していこうというものである。東京、大阪、名古屋など一部の大都市の経済を発展させるのではなく、全国の経済を発展させる。いわば、地方分権のはしりであった。
公害など環境問題が出てくることも予見されていたが、それを処理することも示されていた。経済の成長だけではなく環境問題にも配慮する、時勢に合った政策でもあった。
出来上がった本を見て、田中も喜んだ。各省庁から提出された最新の資料のおかげで、田中が想像していた以上にイメージが膨らみ説得力を増していた。
作家:大下英治